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ファック・トゥー・ザ・フューチャー

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 矢吹は曖昧に頷きながら、部屋の隅に小さく座ってこそこそと視線を送ってくる田中雄三について考えていた。一体、奴は何をしに来たのか。修学旅行で酔っ払い、子供の股間を触った変態教師。何度も卒業作文を書き直しさせた担任教師。まさか奴も正月にあの時の作文を思い出して人生相談に来たのか。冴えない風体。生気のない皮膚と毛髪。人生が上手くいっているとはとても思えない、淀んだ眼球。数分前、吉田の大きな体の裏から顔を出した小男。風音に消えそうな声で「明けましておめでとう」と言った変態は一体、何をしに来たのか。
「それで何? みんなで私の話してた訳?」
 一人だけベッドの上に腰を下ろし、見下すように煙草を銜えた洋子は少し冷静さを取り戻し、美味そうに薄荷の煙を吐いた。
「いや、俺らも今来たばっかしだから、お前が来る五分ぐらい前だよ、なあ矢吹。そうだよなっ」
「うん」
 矢吹は頷き、曖昧に笑った。
「ふーん。それでどうすんの」
 不貞腐れた様に洋子は言い、吉田を睨み付けた。
「どうするって?」
「ホント馬鹿じゃないの。先生いたら話しにくいじゃん」
「え。いいじゃん別に」
「何言ってんのよあんた。先生は矢吹君に会いに来たって言ってたじゃん。なんで一緒に打ち合わせしなくちゃなんないのよ」
「そっか…」
 吉田は指のある方の手で鼻を掻き、指先に付いた脂汗をジーパンの太股で拭った。
「ねえ。どうなの?」
 頭頂部に冷たい視線を感じて顔を上げた田中は、真っ直ぐに自分を見ている洋子に気付き、慌てて唾を呑んだ。
「どうなの? ねえねえ。やっぱさあ、先生もやっぱり矢吹君に将来の事聞きに来た訳?」
「まあ…、そんなとこだな」
「ふーん。先生ちょっとそこの灰皿取ってよ」
「あ、ああこれか」
 黄色いマニキュアの塗られた指に、ブリキの灰皿を渡す。礼も言わない横柄な態度は、子供の頃と変わらない。人を見て態度を変える女。今の自分は、この女に取って惨めな負け組なのだろう。この女に猿轡をさせて糞尿まみれにしてやりたい。自分が世の中にとって何の役にも立たない、単なる糞尿製造器である事を思い知らせてやりたい。田中雄三は矢吹の撮るビデオが、スカトロ系の物になれば良いと思った。ちらりと矢吹の方を見やると、早乙女洋子の煙に誘われたのか、彼も煙草に火を点けている。マイルドセブンライト。煙草を喫う事は意外だったが、極めて一般的な銘柄が矢吹らしいと納得した。狭い六畳強の部屋に紫煙が立ち籠め、喫煙習慣の無い田中は、せめて吉田日出男が喫煙者でない事を願った。
「そうだ」尻のポケットから煙草と赤い百円ライターを取り出しながら、吉田が目を輝かせた。「変態先生も一緒にビデオ出ればいいんじゃねえか? だいたいAVって男優二三人出てるよ。ほら。昨日観たやつだって、ほら一人ずつ出て来て最後には三人でやってたじゃん。そうだよ。普通そうだよ。その方がいいよ。だいたい普通はそうだよな、矢吹」
「はぁ? 何いってんのよ。普通はとか言って馬鹿じゃないの。矢吹君がやるんだから普通のやつなんか作る訳ないじゃん。第一あんた知らないの? 先生は子供じゃないと駄目じゃん。馬鹿じゃない。ホントむかつくあんた」
「でもやっぱ俺だけより二人いた方がいいと思うけどなぁ。先生やっぱ変態だから大人だと勃たないの?」
「いや…。必ずしもそうとは限らないが…」
 年に数回は、府中の格安ソープに行っていた。教師になって初めての教え子は、とうに二十歳を過ぎている。田中は女の年を聞き、顔付きの似た同い年の教え子とソープ嬢を重ね合わせる事で、合法に近い形で衰えない性欲を処理する事が出来た。記憶にある限り勃たなかった事は一度も無い。この女が相手ならば、確実に可能だろう。憎たらしい女だとはいえ、早乙女の少女時代を知っているのだから。
「ほらみろ。先生だって大丈夫だって言ってんじゃねえかよ」
「あんたホント馬鹿。そういうのってあんたみたいな馬鹿が簡単に決められる事じゃないって分かんないわけ? そんなのディレクターが知り合いだからテレビ出してやるっていうインチキ業界人と変わんないじゃない。そういうのは監督とかが決めるんだから。ね、監督」
「え」
 監督と呼ばれて動揺した。矢吹は灰の落ちそうになった煙草を、そっと灰皿に近付けながら、言葉を探した。確かに、面白い。ロリコンの変態教師が、教え子の三十女と絡む姿は、最高に笑えるドキュメンタリーだ。視界の隅の変態は恥ずかしそうに俯き、掌の汗を膝で拭っている。もしかすると、奴は最初から参加する為にここにきたのか。可能性はある。心なしか口元がにやついている。変態は小さく唇を開き、ひっそりと息を吸い、急に矢吹を振り返って言った。
「どうかな」
「え?」
「もしその、ビデオに参加すると、どうかな。私の将来は。映画俳優にでもなれるかな」
 濁っていた筈の双眸に、挑戦的な光が見えた。変態の唇が、悪意に歪んでいる。矢吹は田中の変化に息を呑み、不自然に目を逸らした。吉田と洋子も、自分を見ている。新しい予言を聞き逃すまいと耳を峙て瞳孔を閉める気配が、槍のように飛んで来て顔に刺さった。予言。予言をしなければならない。尻の割れ目が嫌な汗で湿った。ここで下手な事を言ったら、全てが消えてしまう。息が詰まり、呼吸が乱れた。矢吹はそれを悟られまいと態と大きく息を吸い、偽りの溜息を吐いた。
「さあね」
 予期せぬ答えに田中は目を丸め、残る二人には僅かな落胆の色が見えた。吉田、田中、そしてベッドの上の洋子。矢吹は思わせぶりに三人を三秒ずつ睥睨し、もう一度田中を真っ直ぐに見据えた。思いだした。優秀な予言者は、絶対に具体的な事を言わない。ノストラダムスもそうだったように。
 田中への予言は、これしか無い。
「それは、分かんないな。でもやらなかったら一生今のままだよ」

 田中雄三は、舌の裏側に唾液を集めて飲み込んだ。矢吹の目。あの時。卒業作文を書き直させた時の、残酷な双眸が、今目の前にあった。今のままの、一生。目立たないように、揚げ足を取られないように、寝た子を起こすように過去の汚点を思い出させないように。ゴキブリのようにこそこそと暮らす人生。妻も愛人も無く、友人も居ない。今のままの、人生。
 それでも良いと思っていた。定年まで教職にしがみ付いていれば、国が破綻でもしない限りは、人並み以上の年金生活が送れる筈だ。年金が下りるまで、後十八年。今のままで、後十八年。田中雄三には、それが途方もなく長い歳月に思え始めた。鉛を飲み込んだ様に、胃袋が重くなっていく。今年小学校を卒業する生徒が、十八年後には三十歳になる。
「今の、まま、か」
 無意識に独白していた。何故か六割ほど勃起していた。退屈な生活。今すぐに外に飛び出して勃起した陰茎を扱き、道行く少女にぶっかけてやりたい。そう思って、さらに硬くなった。
「あれ、先生勃起しちゃってんじゃん。ぜったい勃ってるよほらあれ。矢吹ほらっ。ぜったい大丈夫だよ。もう勃ってるもん」
 興奮した吉田が、爪のない右手中指で田中の怒張した股間を指し、得意気に笑った。田中は恥ずかしそうに俯き、片膝を立ててそれを隠した。洋子は呆れて口を開き、「変態」と呟いて小さく舌打ちし、あからさまに目を逸らした。