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ファック・トゥー・ザ・フューチャー

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 棚の反対側。ビデオの隙間から、顔が見えるかも知れない。存在を消す様に摺り足で裏側に回り込むと、先客が二人いた。息を呑んで棚に近付く。野球帽の鍔を後ろに回して覗き込む。隙間から見えるのは女の口元だ。歯並びが悪い。煙草を喫うのだろう。茶色く汚れている。特長の無い唇には、べったりとグロスが塗られている。若くは無い。人妻かも知れない。
 興奮した。
 吉田は我慢出来ずに目の前のビデオテープを四本纏めて掴み出した。欠損した指に気付いた右隣の男が、慌てて目を逸らす。縦二十センチ。横六センチ。女が手にしたビデオテープ二本分の隙間が、目の前に開かれた。四角く切り取られた穴の向こうに見えた顔。その顔が、大きく目を見開いて吉田日出男を見ている。
「あっ」
「あっ」

 調布飛行場から太平洋の小島に向かうセスナ機が青空を等速直線運動で進んで行く。金網を掴む女の肩越しに放課後の校庭が見える。金属バットの高音が屋上まで響いて届く。野球部を引退した中学三年の吉田日出男。冬服に替わったばかりの、初秋。女の指に力が入り、金網が音を発てて軋んだ。捲り上げたスカート。露わになった双臀に体をぶつけると、白い太股の内側に赤い線が引かれた。全校生徒七百人。その頂点に立った気がした。学年のアイドルを征服したまま地上を睥睨する。グランドの人間が、矮小な虫に見えた。短ラン。学校で一番丈の短い学生服は、屋外でのセックスに適していた。女が、流し目で振り返る。夕陽を浴びて逆光の横顔。上気した張りのある頬。振り返る。女の顔。
 早乙女洋子。
 それは、早乙女洋子だった。
「あれ? 吉田くんじゃない。久しぶり」
 四角く切り取られた穴の向こうで、早乙女洋子が微笑んでいる。吉田は右手に掴んだビデオテープを落としそうになり、奇形の指先にぐっと力を込めた。
「あ…、久しぶり」
「どうしたの? 今日は」
「どうしたのって…」
「そっか。エッチなビデオ借りに来たに決まってるよね」
「え? まあ…、そうだけどそっちこそどうしたの?」
「ビデオ借りに来たに決まってるじゃない。そうだ。ねえ、吉田くんはどんなの借りるの?」
「え?」
「どういうやつが好きなの? おすすめってある?」
「別に無いよそんなの」
 嘘を吐いた。
「よく借りるの?」
「たまにだよ」また嘘を吐いた。「そっちこそいつも借りてるの?」
「初めてだよ。観たことはあるけど」
「ふーん」
「ねえ、私がAV出たら売れると思う?」
「え? 出るの?」
「うん」
「えっほんと?」
「出るって言ってるじゃん。駄目なの?」
 洋子は顎を上げて唇を尖らせた。
 四角く切り取られたエロビデオの窓。吉田は息を呑み、言葉を探した。昔から、ペースの掴めない女だった。中学を出た途端に電話が来なくなり、何時の間にか会わなくなった。早乙女洋子。気付いたら、何時の間にか先輩の彼女になっていた。
「べつに…、別に駄目じゃないけど。まあ…いいんじゃない。多分出たら借りるよ」
 本音だった。
「ほんと?」
「うん」
「そっか」
「うん」
「そうだ。ねえ、吉田君も出てみない?」
「え?」
「男優さんっていうの? それやってみればいいじゃん。私も最初は知ってる人の方がいいし」
「え? 俺が?」
「大丈夫だよ。その方が知ってる人が観たときに言い訳しやすいし。ほら、洋子がAV出てるって噂される時に吉田君も出てた方がごまけるじゃん」
 鼻の頭にびっしりと汗をかいた。この状況。この会話。ペースが合わない。吉田は穴の向こうの洋子から視線を外し、下を向いた。頭頂部に、洋子の強い視線を感じる。
「でもちょっとな…。恥ずかしいから今回は止めとくよ。そういうのは、やっぱしプロじゃないと…。やったことないし…」
「大丈夫だよ。監督も同級生だし」
「え?」
 吉田は顔を上げた。同窓会には行った事が無いが、いつも同級生の現状が気になっていた。みんなが、社会の隅で、惨めに暮らしていれば良いと思っていた。劣等感が胃袋の中で蜷局を巻いた。AV監督なんて、吉田にとってはまるで夢の職業だ。自分を差し置いて、そんな華のある職業をしている奴がいる。
「監督? 同級生って? 誰?」
「矢吹君」
「え? 矢吹って作文の?」
 あいつ。未来を予知した矢吹丈一。吉田の中の矢吹は今、裸の女に囲まれてブランデーグラスを掌で回している。
「あ、吉田君も覚えてたんだ。あの作文」
「え? まあ。あいつ…。そんな仕事やってたんだ…」
「やってないよ」
「えっ?」
「これからやるの」
「え?よく分かんないな。どういう事?」
「だからぁ。まだやってなくてこれからやるの」
「えっ? AVの仕事やってるんじゃないの?」
「だからやってないって言ってんじゃん」
「じゃあ何やってんの?」
「聞いたけどよく分かんない。直接聞いてみれば言いじゃん。そこにいるから」
「えっ?」
 黄色く塗られた洋子の人差し指が、二人の間の穴の中に差し込まれ、その先端が吉田の左目の端を指していた。吉田は驚きに口を開いたまま、ゆっくりと自分の左後方を振り返った。
「吉田君、久しぶり」
 それは、多分、矢吹だった。
「お前、矢吹?」
「そうだよ」
 変わったような気もするし、まったく変わっていないようにも思える。特に美男子でもなければ醜くもなく、お洒落でもなければオタクでもない。金持ちのポルノ王にも見えなければ、失業者にも見えなかった。吉田は暫くの間矢吹を観察し、劣等感を埋める欠点を探したが、何もなかった。その間、矢吹はずっと、個性の無い笑顔で、吉田を見ていた。
「仕事は…」何をしているのか聞きかけて止めた。自分の仕事を聞かれたくなかったからだ。「元気だった?」
「あ、うん。まあまあかな。吉田君は?」
「え、まあ、元気だよ」
「そっか」
 矢吹の目線が、エロビデオを四本掴んだ自分の右手にある事に気付いた吉田は、漸くテープを棚に戻した。隙間を埋める瞬間、洋子が穴の中から欠損した指先を見ていた。吉田は右手をポケットに差し入れながら振り返り、矢吹の視線もそこを追っていた事を悟った。
「これ、高校ん時ちょっと事故っちゃって」
「うん。知ってたよ。バイクでしょ」
 吉田の顔が蒼白になった。
 予言者。
 ノストラダムスは偽物だった。ユリゲラーもスプーン曲げしか出来なかった。デビッド・カッパーフィールドもミスター・マリックも矢吹の前では単なる奇術師に過ぎない。矢吹丈一は、本物だ。吉田は同級生であれば誰もが知っていて単に気を遣って本人に言わないだけの話を誇大解釈し、矢吹を神格化した。彼の前では、何を隠しても無駄だ。本気でそう思った。
 吉田はポケットから指の足りない右手を出し、親指で眉尻を掻いた。左手に持ったままの痴女モノのエロビデオ。自分の趣味を隠しても無駄だ。
「吉田君って意外と変態なのね」
 いつの間にか横に来ていた洋子が、左手のテープを見ていた。
「こんなの普通だよ。SMとかじゃないし」
「だってラベルに変態って書いてあるじゃない。変態性欲痴女?ってほら」
「うるせえな」
「私、これにするんだ」
 目の前に差し出した洋子の手には、吉田が滅多に観る事の無い、アイドル顔の単体女優のパッケージが二本握られている。