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颯太郎(そうたろう)
颯太郎(そうたろう)
novelistID. 20525
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無鉄砲アピール

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 どんな旅になるだろう。きっと最高の旅になる。だって今、こんなに楽しいのだから。
 根拠のない論法で導き出した「楽しい」を、疑おうとしなかった。
 最初から飛ばすぜ。時速20?出していけば、三時間あれば着く。あっという間だろうから、じっくり楽しまなくちゃな、と思った。その速さがどれだけのものか知らずに。
 海岸線を選んで正解だったよ。海を眺めながらのサイクリングは、最高だ。その日は俺の旅の門出を祝うかのように快晴だったので、綺麗な海が一望できた。波風が気持ちよかった。風を切って走る俺。あんまり気分がよかったので、つい調子に乗って前から歩いてくるおばあさんに、「こんにちはー」と挨拶をしたりもした。
 松山‐今治間を、その日の思いつきで走り切り、来島海峡大橋まで観に行った男、いや、兵と書いてつわもの。いい。友人たちの間で伝説になるぞ。そうだ、伝説を残そう。俺はこれからレジェンドになる。就活の時の面接でも話せるしな。面接官もびっくりするだろうな。とんでもない兵がうちにやって来たって。ふはは。俺は気分がハイになって、調子に乗っていた。
 しかしそんな浮かれ気分も、最初の二時間までだった。
 一時間を越えたあたりからきつくなってはいたのだが、その時点ではまだ心は元気だった。しかし、健全な精神は健全な肉体に宿るとはよくいったもので、そこからさらに一時間もペダルを漕いでいると、体の悲鳴が心にまで届きだした。
 途中あった峠も俺の体力を削り取るには十分な破壊力だった。カーブを大きく描いて登らなければいけない坂だった。そこを何くそと、立ち漕ぎしたのが仇になった。峠を登り切るとダメージは膝と太ももに顕著に現れ、情けなくがくがくと小刻みに震えてしまっていた。
 自転車を押して歩けばよかったのだ。俺は時々、立ち向かわなくてもいいものに立ち向かうことがある。
 そして俺をさらに追い込んだのは、二時間走ってようやく道程の半分ほどだという事実だった。道路標識には今治まで25?と書いてあったのだ。予定ではもう三分の二のところまで来ているはずなのに。
 愕然とした俺は、その旅ではじめて自転車を止め、歩道の縁石にゆっくりと腰を下ろした。ミネラルウォーターに口をつけ、キャラメルを口に入れる。
 甘かった。いや、キャラメルじゃなくて、俺の考えが。
 こうべを垂らした状態で、キャラメルを舌で転がしながら俺は思った。
 もっと行けると思っていたのに。普段からよく自転車に乗っている、と普段から自転車でトレーニングしている、とでは段違いの差があるのか。二時間でスタミナが切れて当然だ。だって今まで往復二時間くらいしか自転車を漕いだことがないし、二時間といっても、間に本屋でゆっくり休んでいるし、帰りの一時間は結構きつかったし。こんなにぶっとおしで、飛ばしたこともないし。
 ちらりとママチャリと称されることもある自転車を見た。
 そもそもこの自転車は街中を走るもので、長距離用じゃないし。
 さらにこうべを垂らして、深い溜息をついた。
 甘い。このキャラメルの甘さには意味があるが、俺の考えは、無意味に甘い。マラソン選手って本当にすごいんだなあ。
 後悔先に立たず。ここで止まっていても日が暮れるだけだし、ここまで来て引き返すのも格好悪いし、進むしかない。そうして前に進む理由を脳内に巡らせた後、俺は渋々立ち上がった。
 とにかくあと半分だと自分を奮い立たせ、自転車に跨った。お尻が痛かったけれど、とにかく進まなくては、と。
 そこから先は楽しさなど皆無で、ただ痛む尻をサドルに押し付け、痛む太ももでペダルを漕ぎつづけるという苦行だった。苦しいという感情が先行して、もはや旅を楽しむ余裕など存在していなかった。
 BGMに聴いていた『終わりなき旅』も耳障りになった。結局、『終わらない旅』を演出するかのようで嫌になり、聴くのを止めた。
 覚えているのは、歩道の脇になぜかフランス人形が捨てられており、いわくありげで不気味すぎてぞくっときたこと。それと、歩道のない短いトンネルを抜ける際に、大きなトラックが横を通り過ぎて、ぶつかるんじゃないかとどきっとしたことくらいだ。人間、強い感情を伴うことは忘れないらしい。
 ところで後から知ったことだけれど、そのトンネルを抜けると、いくつもの瓦屋が軒を連ねており、そこでは今治名物の菊間瓦を作っているということだった。いい瓦らしい。
 そのときは疲れ切っていて前しか見えておらず、今治に入ったことにすら気付かなかった。気付いたのはそこからさらに街中に近づいてからだ。ふと見上げたところにあった道路標識で、いつの間にか今治に入っていたことを知った。
 やがて時刻は十六時を回り、結局五時間近くかかって今治駅に着いた。もう精も根も尽き果てていた。
 当初の予定では、ここで来島海峡大橋までの道のりを調べて観に行く予定だった。だから俺は、駅に設置してある駅を中心とした今治市内の地図をさっと見た。しかし、橋がどこにあるのか確認できないのを確認すると、自転車を駅の駐輪場に停めた。
 鍵は掛けなかった。
 そしてふらふらとした足取りで、駅構内にある松山に向かう電車の時刻表を確認した。虚ろな目で一番近い時刻の電車を確認すると、迷わず切符を買った。金に余裕があったわけではなかったが、特急を買った。とにかく早く家に帰って休みたかったのだ。
 恥ずかしいことに、そのときは俺の頭と体に選択の余地はなかった。もう完全に心が萎えてしまっていたのだ。思いつきで行動したことを心底後悔していた。
 松山を出る前は、絶対に橋を見つけてみせると意気込んでいて、それを信じて疑わなかったのに、この様だ。
 成功した暁には、この武勇伝を友人たちに聞かせるつもりで意気揚揚だった。正直、格好つけるつもりだった。しかしあまりにも無様な結末だったので、結局、この話は美化され、一応、橋は見たことにして友人たちに伝えることになった。
 いやあ、帰りは電車で帰ったけどね、とか笑いを誘うオチをつけた感じにして。
 本当はオチなどなく、俺には笑えるところが一つもなかったのだけれど。なんとも情けない話だ。
 帰りの電車の中でも腰掛けた尻が痛くて、尻を少しずらして座った。松山に近づく頃になって、ようやく安堵した。
 家に着いて俺はすぐに寝た。ようやく痛みから解放されると思った。
 しかし、悲しい現実が今治駅に残っていた。
 自転車を今治駅に置いていった以上、必然的に、誰かが取りに行かなければならなかったのだ。当然だが、取りに行くのは、俺しかいない。
 一週間後、ようやく筋肉痛の癒えた体で、今度は電車に乗って今治まで行った。
 電車の中、車窓の景色を見ながら、鬱々とした気分で物思いにふけた。
 自転車、撤去されていないかなあ。なんなら自転車が盗まれていて欲しい、とさえ思っていた。鍵を掛けなかったのはそのためだ。盗まれてしまえばどうしようもないから、俺はまた電車で松山に帰るしかないのだから。
 せこい。なんともせこい考えだった。それでも俺は電車の中で、結構真剣にそうなっているように祈ってしまった。