Wish
明日の土曜日からは三連休だ。その日・月で
「墓参りに行く」
と、新幹線の乗車券を祖父から渡された。首を振って拒否するが、
「いい加減、理解しなさい! 小さな子供じゃないんだから!!」
強引に決められ、思わず家を飛び出した。
真っ暗な夜の町。無意識に向かったのは、慎太郎のいるマンションだった。一人になりたかった訳ではない。祖父の言葉が辛いだけなのだ。慰めの言葉もいらない。同情も、分かった様な呼びかけも……。慎太郎なら、何も聞かずに隣りにいてくれる。きっと、何も言わずに笑ってくれる。そう思った。
でも、いざ来てみると、呼び鈴を押す勇気はおろかノックすら出来なかった。
……こんな時間だ。普通の家庭なら、両親と食事中に違いない。そんな所へのこのこと顔は出せない。かと言って帰りたくない……。結果、ここで座り込んでいる。
「……クシュッ……」
冬のマンションの廊下に座り込む航。寒さの余り、くしゃみが出てしまった。
と、
「あら?」
スーツ姿の女性が立ち止まった。慌てて背を向ける。が、
「うちに何か?」
飯島宅のドアノブに手を掛けて女性が小首を傾げる。
(え? シンタロの家の人!?)
驚きつつも、首を小さく横に振る航。
「……航……くん……?」
女性の口から自分の名が出て、更に驚く。
「航くんでしょ? 堀越航くん!」
驚きつつも航が小刻みに頷く、と同時に、
「やっぱり! シンちゃんが言ってた通り!!」
はしゃぐ様に言いながら、しゃがんでいた航の腕を取り、女性が玄関を開けた。
「シンちゃーん! 航くーん!!」
ほらほら、上がって! とばかりに手招きされて、玄関に足を踏み入れる航。
「母さん、声でかい!」
奥から慎太郎の声が聞こえた。
(え? お母さん? 若くない??)
「大体、航がここにいる訳……」
奥から姿を現した慎太郎と、半ば強引に招き入れられた航の目が合う。
「何やってんの、お前?」
そう言いつつ、冷え切った航の顔に慎太郎の手が伸びて、両手でパフッと頬を挟む。途端、慎太郎の顔色が変わった。
「馬っ鹿!!」
まだ靴を脱いでいる航の腕を掴み、強引に中へと引きずり込む。
「真っ青な顔しやがって! どん位、外にいた!?」
怒られると思い、航が首を振る。と同時に、
「……ックシ……」
くしゃみが出た。
「母さん! 風呂っ!!」
奥で着替えているであろう母に叫びつつ、慎太郎が航に赤い半纏を投げる。
「それ、着てろ!」
これ? と持ち上げる航。
「母さんのだけど、お前が着たって文句は言わねーよ。ココア、飲むか?」
(ココア!? 大好きっ!!)
嬉しそうに航が大きく頷く。
「ったく!」
ココアの入ったマグカップを航の前に置き、慎太郎が呆れた様に小突いてくる。
「原因は“京都”か?」
カップの中のココアから目を反らす事無く航が頷いた。
「もう一回風邪ひけば、行かないで済むとでも思ったのか?」
慎太郎の言葉に、航はただ睨みつけてくる。
「そんなに行きたくないんだ……」
航の態度に、慎太郎がやれやれと溜息。
「何がそんなに嫌なんだ?」
慎太郎の問い掛けに首を振る航。
何が嫌なのか、航自身もよく分からない。
そんな航を見て、
「余計なお世話かもしれないけどさ……」
慎太郎が続ける。
「行った方がいいと思うぞ。……そこにいるんだろ、両親?」
一向に視線を上げない航の顔をマグカップ越しに覗き込んでみる。が、目が合った途端に首を振られる。
「なんで? 傍から見ると“わがまま”にしか見えないぞ」
慎太郎はそう言うが、言われても、航自身も理由が分からないんだから仕方がない。
(慎太郎なら、何も聞かないと思ってたのに……)
口をへの字に結びながら、航が飲み終えたカップをテーブルに置いた。
「拗ねてんじゃねーよ!」
ほら! と、慎太郎がメモとペンを差し出す。航が、それを突き返す。
「理由を書・け!」
膨れたままペンをとる航。
「納得がいったら、お祖父さん達に対して弁護してやる」
言ってはみるものの、
『シンタロなら、何も聞かないって思ってたのに!』
返されたメモを見て、カチンとくる慎太郎。
「場合によるだろ!? 墓参りだぞ! 両親の!!」
『だって、行きたくない』
「だから、なんで!?」
『行きたくないから』
「なんで?」
『分からない』
「は?」
分からないのは、慎太郎の方である。
「航!!」
痺れを切らせた慎太郎が、テーブルをダンッ! と叩いて立ち上がる。航が、ペンを握り締めたまま、顔を隠す様に腕を上げた。そこへ、
「シンちゃんっ!!」
慎太郎の母が風呂の用意をしてリビングに現れた。
「一方的に責め立てるんじゃないの!!」
「一方的にって……」
こいつ、話せないんだけど……。と言いた気に慎太郎が航を指差す。
「可哀想に、こんなに怯えちゃって……」
言いつつ、座ったままの航を抱き締める母。そのまま、テーブルの上のメモにザッと目を通す。
「……そっか……。行きたくないんだ、航くん……」
腕の中、驚いて見上げる航に慎太郎母が微笑む。
「でもね、お母さん、待ってると思うな」
航の顔が曇った。
(……お母さん……待ってる?……)
慎太郎の母の腕の中、俯いたまま航が首を振る。自分の所為で死んでしまった母が、自分の来るのを待っている筈がない、と。
「『なぁ、航。命がけで守った子ぉが、元気かどうか、知らせに来てはくれへんのか?』」
驚きの余り、丸い瞳を更に丸くして、航が顔を上げた。
「……って、言ってると思うな、航くんのお母さん」
そう言って、何事もなかったかの様に、また微笑む慎太郎の母。
(……お母ちゃん、かと、思った……)
「お母さん、怒ってると思ってた?」
微笑んだままの問い掛けに、
(……そう、かもしれない……。だって、姉ちゃんだって動けないのに、俺は……)
航が頷く。
「お母さんね、自分の命に代えて、航くんを守ったの。それだけ、大切だったって事」
(……そう?……)
「だから、行ってあげなきゃ。行って、“元気です”って知らせてあげなくちゃ、お母さん、安心して逝けなくなっちゃう」
(……そう……かな?……)
「あらっ!?」
声を上げる慎太郎母の向かい側で、慎太郎が呆れる様に航を見ている。
「あら、あら、あら!」
「泣かせてどうすんだよ!」
慎太郎にティッシュを箱ごと差し出され、航は、自分の涙に気が付いた。
「やーん! おばさん、名演技?」
おどけた様に言う慎太郎母に航が頷く。
「泣いちゃったついでに、お風呂へどうぞ」
にっこり微笑み、腕の中から航を解放する。
「で、どうすんだ? 墓参り」
チーン! と鼻をかむ航に慎太郎が問い掛ける。
「あら、行くわよ。ねぇ?」
(……それで、お母ちゃんが安心するなら……)
飯島親子の顔を見て、航が頷いた。
「凄いな、母さん!」
と慎太郎が笑う向こうで、
「当然!」
と踏ん反り返る母の姿。そして、笑顔を航に向ける。
「今日は泊まってく?」
え? と航が慎太郎と母の顔を交互に見る。
「時間も時間だしな」
(でも……)
時計を確認する慎太郎の横で、航がその袖を引っ張る。