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 ぼんやりと知らない人の声がこだまする。なんだか、だるい……。浮上する事無く、航の意識は再び闇の中へと戻って行った。
  ―――――――――――――――
「航っ!」「航ちゃんっ!」「あぁ、良かった」「見える? 分かる?」
 航が瞳を開けると同時に、父方と母方の祖父母の歓喜の声が耳に響いた。動こうとしてみるが、あちこちが痛くてままならない。腕にも、顔にも、なにやらチューブが繋がっている。
(……そうか、俺、崖崩れで)
 思い出し、そして、泣いている祖父母の周りをキョロキョロと視線を動かして“家族”を探す。
「帆波(ほなみ)か?」
 姉の名を問われ、頷く。
「大丈夫。……ただ、違う部屋にいるだけよ」
 父方の祖母が微笑む。
(姉ちゃんは、別の部屋? ……やったら、お父ちゃんとお母ちゃんは?)
 更に視線を動かす航に、双方の祖父が顔を見合わせ頷き、母方の祖母が優しく手を握る。
「動ける様になったら、な?」


「まだ調子悪いのか?」
 朝からしかめっ面の航に慎太郎が心配そうに声をかける。
「今日、金曜日なんだから、無理しないで休んでも良かったのに……」
 慎太郎が航の額に手を当てた。
「熱はなさそうだけどさ……。また、嫌な夢でも見たのか?」
 先日、プリントを持って行った時の事を思い出し聞いてくる慎太郎を一瞬見上げ、航が頷いた。
「仕方ないさ。調子の悪い時ってそんなもんだよ」
 と、慎太郎が航の肩を叩く。
『違う』
「『違う』って?」
 メモから航の顔に視線を移して首を傾げる慎太郎に、航が困った様に瞬きをする。
「そうやって……」
 と、航の胸をつつきながら、
「そうやって溜め込んでると、ロクな事ねーぞ!」
 慎太郎が笑う。
『じいちゃんとばあちゃんが』
「ふんふん」
『京都、行こうって』
「き、京都!? なんで!? ……どっかのCM?」
『俺の』
「お前の?」
『住んでたとこ』
「え、そうなの!? じゃ、帰るって事?」
 慎太郎の問い掛けに首を振りながら、航が続ける。
『墓参りに行こうって』
「あぁ、両親の……」
 事故で両親を失った事を思い出し、慎太郎が頷いた。
「いいじゃん。行って来れば?」
 大事な事だよ、と航の顔を見るが、強く首を振り否定される。
「なんで?」
 また、強く首を振る航。
「お前の親だろ?」
 余りの拒否加減と、学校への到着とで、慎太郎は追及を止めるのだった。


 最初の頃の音楽室通いも、テスト期間が終わると同時に出来なくなった。許可は出ているのだが、合唱部やら吹奏楽部やらのいる所ではやり辛いのと、航が、人に聴かれるのは嫌だと言うのでそれ以来は帰りに堀越宅で付き合う事となったのだ。
「……でも、今日はやめとく」
『なんで?』
 問われて、慎太郎が微笑む。
「だって、病み上がりじゃん、お前」
 淋しそうに視線を落す航の頭をポフポフと叩いて、
「三連休なんだから、ゆっくり休めよ」
 慎太郎は帰って行った。
 仕方なしに玄関を開ける航。声が出せれば、引き止める事が出来たかもしれないと思うが、それは無理だ。でも、今日はギターとは関係なしに、いて欲しかった。慎太郎がいれば、祖父母も“墓参り”の事は言わないだろうから……。
 両親の死を受け入れられない程、子供ではない。事故の規模が大きかった事もちゃんとわかっている。大惨事だっただけに当初はマスコミの動きが盛んだったが、今は、“人権保護”などもあって随分落ち着いているから、京都に行ったところで騒ぎになる事もない。ただ、墓参りだけは行きたくないのだ。
 黙って玄関を開け、そーっと階段を上り、静かに部屋に入る。
 そして、航は机の上の写真を手に取った。最後の最後、覚えているのは姉を庇う様に覆いかぶさる父と自分の手を握り締めたまま冷たくなっていった母の姿だ。
『泣きなや。男の子やろ……』
 何度も繰り返し思い出す母の言葉。写真を持つ手が震える。泣いてない! 自分を庇って死んでしまった母に言い訳はしたくないから、泣いてない! ……慎太郎の前での“あの時”以外は……。
「あら、航ちゃん。帰ってたの?」
 祖母の声に驚いて飛び上がる航。ノックに気が付かなかった。
「ごめんなさい。ビックリしちゃった?」
 写真を置いて、小さく頷いて祖母の方を見ると、
「私もビックリしたのよ」
 と祖母がコロコロと笑い出す。まだ帰っていないと思って、たたみ終えた洗濯物を持って来てくれたらしい。
 航が自分で片付けようと、祖母の方へ手を差し出す。
「じゃ、お願いしようかしら」
 そう言って微笑んだ目元が、父に似ていて……。
「夕飯、もう少し待っててね」
 部屋を出て行く祖母の姿を見送って、たたまれた洗濯物をタンスに片付ける。
 自分がここに来た頃は、祖母はあまり笑わなかった。理由はきっと、自分が“父”に似てるから……。その父も、自分達を庇って死んでしまった。だから、祖父母は辛そうな顔なのだ……。
 航は、ずっと、そう思っていた。慎太郎が来た、あの日まで……。
  ―――――――――――――――
「お祖父さん、見ました?」
 その日、トイレに行こうとした航が横切った居間から聞こえた祖父母の会話。
「航ちゃん。笑ってましたよ」
 祖母の微かな涙声が聞こえる。
「あの子と歌織さんが死んでしまって、笑う事も忘れたのかと思ってたのに……」
 そんな祖母に祖父が頷いた。
「その内、言葉も思い出すさ。我々は“普通”に接していれば、時間が解決してくれる」
「お友達も出来たんですものね」
  ―――――――――――――――
 航は、自分が泣かない事が祖父母を安心させるんだと思っていた。でも、違う事にその時、気付いた。話せないのなら、せめて、笑っている事。ここにいる事が幸せなのだと、そう思っていると祖父母に分かってもらう為、出来る限り“笑顔”でいる事が、安心へと繋がるのだと分かった。
 航が笑顔でいると、祖父母も笑顔でいる事が増えた。
 笑顔の祖母は父に似ていた。祖父の笑い声は父に似ていた。そして、父似の自分がここにいる事は、祖父母には辛くはないのだろうか? そんな事を思い始めたそんな時、
「航も元気になったから、一度、墓参りに行くか?」
 祖父が言った。
 言葉と同時に激しく首を振る航。
「航ちゃん!?」
 余りの反応に祖母が驚く。が、もっと驚いていたのは、航自身だった。
 何を考えるまでもなく、身体が勝手に動いていた。行きたくなかった。理由はよく分からない。でも、行きたくないのだ。
「お父さんとお母さんの死を認めたくない気持ちは分かるがな、航」
(違う! そうじゃない!! 両親が死んでしまった事はちゃんと理解出来てるし、認めてる。でも……)
 激しく首を振り続ける航。
「一度、元気な顔を見せてやりに行くのも、親孝行だぞ」
 祖父の言葉に、航は食事の途中で席を立った。夕べの事だ。先刻、祖母は何事もなかったかの様に微笑んでいたけれど、あの優しい笑顔の下で、また心を痛めているに違いない。
 ……憂鬱な夕食が、もうすぐ、始まる。


 明かりが薄っすらと灯る小さなマンションの廊下の玄関先で、呼び鈴を押す勇気もなく、航はただ蹲(うずくま)っていた。
作品名:Wish 作家名:竹本 緒