Wish
音のしたその先へと思わず駆け出す慎太郎。悲鳴が木綿花に似いてた。もしかしたら……!
丁度登校時間だけあって、小中学生で人だかりが出来始めている。
「悪い、ちょっと、どいて!」
人垣を分けて、やっと現場に辿り着くと、木綿花が自転車に跨ったまま両手を口に当てているのを見止めた。木綿花の視線の先には、壁に突っ込んだ軽トラ。どうやら、けが人は運転手以外にはいない様だ。
「木綿花、大丈夫か?」
その言葉に、少女が我に返って頷く。
「びっくりしちゃった」
引き攣った笑顔で答える。そして、大きく息を吸い、吐き出した。
「あれ? 一緒にいた子は?」
木綿花に問われて今度は慎太郎が慌てる。
「あ、置き去り……」
「バカね!」
二人して、今来た道を引き返す。
「てっきり、ついて来てると思ったんだよ。小さい子じゃないんだから……」
そして、二人は、見付ける。置き去りにされた道のその場所で、耳を塞いで蹲る小さな影を……。
「堀越くん」
震える肩に声を掛ける。怯えた瞳がまっすぐに見詰めてくる。
「ごめん、置いてっちゃって」
慎太郎の言葉に静かに首を振る。
「大丈夫? すっごい震えてるわよ」
と声を掛ける木綿花に今度は何度も頷く。
『良かった。なんともなくて』
メモの震えている字を見て、慎太郎が思わず転校生の肩を抱いた。
「お前の方が何かあったみたいじゃないか。……立てるか?」
肩を抱きかかえたまま、
「木綿花、先行く?」
と、目の前の木綿花に聞く。
「うん。事故の事、先生方に言っといた方がいいと思うから」
「じゃ、俺等、ゆっくり行くから、もしかしたら、遅刻かもって伝えといて」
「了解っ!」
まるで敬礼のように額に手のひらをあて、通れなくなった道を迂回して、自転車に乗った木綿花が姿を消した。
学校に着いたのは、始業十分後だった。
真っ青な顔の転校生を教室に連れて行く訳には行かず、保健室へと進路を変えた。
「事故があったんですって?」
養護教諭がベッドの転校生に毛布を掛けながら言った。
「今日は三十分以内の遅刻は、遅刻扱いにはならないそうよ」
慎太郎の“皆勤”を知っているのか、教諭が微笑む。
「え、っと。俺、付いて……」
“付いていた方がいいですか?”の言葉を遮る様に、転校生が、ベッドの傍らにいた慎太郎の腕を掴んで首を振った。
「だって、お前……」
ベッドを振り返ると、大きな瞳が“大丈夫だから”と言ってくる。
「大丈夫よ、飯島くん。ここは“保健室”だし、私は“養護教諭”なんだから」
そう言いながらメガネを摘み上げ、
「もう! 信用ないわねっ!」
と養護教諭が慎太郎の肩を叩いた。
「飯島くんが、こんなに世話好きだとは思わなかったわ」
クスクスと笑いながら、
「何かあったら、君に連絡していいのかしら?」
と今度は、その大きな丸い眼鏡越しに見据える。
「俺、ですか?」
「転校してきたばかりの彼を“何かあった時”に一人で帰す訳にはいかないでしょ?」
驚いて自分を指差す慎太郎に、
「お願いね!」
と強引な微笑みの養護教諭。
そして、「教室に戻りなさい」と促され、慎太郎は保健室を後にした。
生徒が次から次へと登校してきて、一限目は授業らしい授業にはならなかった。
先生はいるものの、少しずつ増えていく生徒に伴い、話題が“事故”へと移行する。
「軽トラが壁にねぇ……」
先生は早くに来ていた為、事故の事は木綿花の報告でしか知らない。だからだろうか、遅れてくる生徒の話を一番聞きたがっているのは先生のように見える。
「結局、運転手の居眠り運転って事か……」
やれやれと首を振りながら、帰りはあそこは通行止めになるだろうから、迂回して帰るように! と授業とは全く関係の無い事を言って、一限目が終了した。
「慎太郎っ!」
先生が出て行くと同時に、木綿花が寄って来た。
「転校生の子は?」
ほらほら、と手を振りながら思い出す。
「えーっと、堀越、くん。だっけ?」
「保健室。顔色悪かったから、とりあえず」
慎太郎の返事に、気が利くじゃない。と微笑む木綿花。
「なにかあったのかしらね……。もの凄く怯えてたでしょ?」
「さぁな……」
「“さぁな”って、知らないの? 友達なのに?」
「まだ、“友達”じゃねーよ! てか、昨日、知り合ったばっかだぜ」
「そーなの?」
とてもそうは見えなかったけど……。と木綿花が首を傾げる。
「それと!」
机の上に置かれた木綿花の偉そうな手を“シッシッ!”と払いのけながら慎太郎が言葉を続ける。
「俺は、“詮索”はしない主義だから! 知りたきゃ、自分で調べな!」
「あら、あたしも嫌いよ、そういうの」
ニッコリと笑って、机に乗せた手を片方追加。
「なんかあったら、連絡くれるってさ。保健の先生が」
「保護者?」
「……になってる。有無を言わせねーんだもん、あの先生」
キャラキャラと笑う木綿花の声に被さって、二限目のチャイムが鳴った。
結局、保健室からの連絡はなく、無事に六限目が終わった。そそくさと帰る用意をし始めると、
「早いじゃない!」
案の定、木綿花が寄ってきた。
「いつもはダラダラと支度するくせに……。そんなに“転校生”が心配?」
面白そうに話しかけてくる木綿花に、慎太郎が思わず舌打ちする。
「違うよ」
「どこが?」
「約束があんだよ。放課後、音楽室で」
「誰と?」
問われて、
「堀越、と……」
気が付く。
「あの子じゃん!!」
“あんた、バカ?”と、笑いながら木綿花が肩をバシバシと叩いてくる。
「で、お前は?」
“痛ってーな!”とその手を払いのけ、一応、聞いてみる。アクティブな彼女の放課後は大抵、部活と生徒会だが……。
「テスト前で部活はないんだけど、生徒会の方で緊急招集がかかっちゃったのよねー」
……予想通りの回答だ。
「……って事で、遅れると叱られるから、行くねっ!」
教室の時計を見て、慌てて駆け出す木綿花。
「慌(あわただ)しい奴……」
擦れ違うクラスメートに挨拶をしながら出て行く彼女を見て、慎太郎が思わず溜息をついた。
「俺も、行くかな……」
木綿花の姿が見えなくなり席を立つ。
と、
「慎太郎っ!!」
出て行った筈の木綿花が、血相を変えて戻って来た。
「何? ……忘れ物?」
……ではなさそうだ。
「隣り!」
慎太郎の方を向いたまま、木綿花が隣のクラスを指し示す。首を傾げる慎太郎。
「隣りのクラス! 堀越くんがっ!!」
“ガタッ”
机にぶつかりつつ、慎太郎が急いで教室を出る。その後ろを木綿花が追って、二人は教室を後にした。
隣りのクラスのドアの前、軽く人だかりが出来ていた。
「生き残りだって」「あの事故の」「転校生」「え? 夏休みの?」「うん」
途切れ途切れに野次馬達の声が聞こえる。慎太郎はというと、生徒の固まりの最後尾からイライラしながらポケットの中に手を入れ教室を覗き込む。その手に何かが触れ、取り出す。『今日はありがとう』。昨日のメモだ。
無言で人ごみを掻き分ける慎太郎に、
「先生、呼んでくるっ!!」
後ろから木綿花の声が届く。
振り向きざま頷き、やっとの事で教室に辿り着いた。