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「お前のおった運転席が一番潰れとってな。正直、もうアカンかと思うた。でも、お父さんの気持ちが通じたんやろな。お前は、ここにおる。ただ……」
 涙を拭う事もできずに、姉が祖父を見詰める。辛い宣告だ。
「ただ、あっという間の出来事やったさかいに、全部を庇いきれんで……」
 目を反らした祖父に、姉が気付く。自分の脚は“無い”のだと……。
「……嘘やん……うちの脚……」
 動かぬ身体で、全身を震わせて泣き崩れる姉。
「命が助かったんや。それで充分やと、わしは思てる」
 祖父が微笑み、その前で猪口氏が再び頷いた。
「……うち……」
 ずっと手を握っていてくれる猪口氏に姉が何か言おうとするが、黙って首を振り、
「お父さんが守ってくれた命、大切にせな」
 ずっと傍におるから……、と猪口氏が肩を抱き寄せた。
「これからは航もおるんやし……」
 祖母が、もう片方の手をポンポンと叩いて言った。
 その脇で、淋しそうな顔の父方の祖父母。
 ……航が、慎太郎の服の裾を握り締めていた。


 翌日、疲れて寝た航と慎太郎が起きたのは昼前だった。二人揃って階段を下りると、双方の祖父母が何やら話し合っていた。
「……それやったら、新学期が始まる前に……」
「……いっそ、このままここに……」
「……そんな急な……」
「……せめて、夏休みの間くらい……」
 途切れ途切れに聞こえる声に、航が顔をしかめる。
「シンタロ……」
 小さな声で慎太郎を見る。
「俺の事、“好き”?」
 突然の質問に何事かと戸惑う慎太郎。その表情に、
「うっとおしいとか、思てへん?」
 航が不安そうに聞いてくる。
「“友達”だろ、俺等?」
 笑う慎太郎に、安心した様に笑顔を返し、
“トンッ”
 航が階段を降り切る。
「航ちゃん!」
「おはよう。……って、もう昼やな」
 微笑みかける祖母二人の向こうで、
「ほな、二学期から……」
「……えぇ……」
 祖父達が頷き合う。言葉の端々を聞き繋げて、慎太郎は気付いた。この夏休みが“最後”なのだと……。だから、“好き”かと聞いたのだと……。
(バカだな、離れてたって“友達”は“友達”だろ)
 そう思って、祖父母達と笑っている航を見詰める。
「シンタロ! 病院、行くって!!」
 笑顔で振り返る航に、“また、俺もかよ!”と思うものの、“最後だから仕様が無いか”と思い直し、
「おう!」
 慎太郎は、笑って手を上げるのだった。


 病院に着いて、すぐ、航は主治医に呼ばれた。慎太郎も一緒に、である。声を取り戻した経緯を知りたかったらしい。仕方なしに、二人で説明する事三十分。聞き終えて、慎太郎の吊られた腕に納得しつつ、
「良かったよ」
 と、最後に笑って開放された。ただ、ここでも、“喋り過ぎ”に関してはしっかりと注意され、笑う慎太郎の隣りで航が不貞腐れていたのは同じだった。
 姉の病室へ向かう間、航は一言も話さなかった。拗ねているのかと思ったが、
「あと、一週間だな。夏休み」
 エレベーターの中で何となく呟いた慎太郎の言葉に頷いた航が、不安そうに慎太郎を見上げた。
「……俺……」
 何か言おうとしたのだが、エレベーターが五階に到着し、開いたドアに遮られる。足早に病室へ向かいつつ、
「何?」
 慎太郎が問い掛けるが、黙って首を振り、ドアノブに手を掛ける。
「あ、俺、いつもんとこで待ってるから」
 ……と、背を向けた慎太郎のベルトを掴む航。
「なんだよ?」
 “流石に今日はする事がねぇぞ”と見る慎太郎に、
「……一緒に居(お)って……」
 航が、話せなかった“あの頃”と同じ瞳で訴えてくる。
「……航……。どうした?」
 顔を覗き込むが航は無言のままだ。仕方なしに、二人一緒に病室に入る。
「航!」
「あー、来た来た」
「こっち、こっち」
「ここ、おいで」
 祖父母達が待ってましたとばかりにベッド脇奥に航を手招きする。言われるがまま、奥へと進む航。
「……おい……」
 Tシャツの裾を掴まれたまま、慎太郎が小さく声を出す。が、さっきと同じ瞳で訴えられ、渋々一緒に歩く。
「昨日からみんなで話してて、さっき帆波にも言うたんやけどな……」
 輪の中に入るや否や、母方の祖父が話し始める。
「二学期から、京都(こっち)へ戻ってこ来おへんか?」
 シャツを握り締める航の手に力が入る。
「いやいや、急なんは分かってる。そやけど、受験やらなんやらを考えると、少しでも早い方がええやろ。って事になってな」
「役所の手続きは大した時間もかからへんし、なんやったら、このままこっちに留まってもええのえ?」
 京都の祖父母が笑顔で返事を待つその隣りで、父方の祖父母が視線を落す。きっとどちらも最後まで“航”を譲らなかったのだろう。
「……なんで……」
 慎太郎のシャツの裾を握り締めたまま、航が祖父母達の顔を見回す。
「なんで、俺抜きで決めんの?」
 その言葉に驚く祖父母達。
「なんで祖父ちゃん等だけで決めんの!? なんで、俺に一言言うてくれへんの!? 決めてしまえば、言う事きくと思てた!? 俺、もう小さい子供と違う!! やりたい事かてあるし、ちゃんと考えてる!」
 一気に捲くし立てて咳き込む航。
「……バカ……。大声出し過ぎだぞ……」
 慎太郎が航を支える。
 しばらくして、咳の治まった航がベッドの上の姉を見詰めた。何を言うでもなく姉が静かに頷き、視線を戻した航が目を閉じ一呼吸した。
「……俺、な……」
 少しハスキーな高めの航の声が病室に静かに響く。
「京都には戻らへん」
 祖父母達と一緒に慎太郎も驚く。
「“堀越”の家に帰る」
 予想外の答えに、戸惑う母方の祖父母を尻目に、航が父方の祖父母を見る。
「あかんかな?」
「“あかん”だなんて……」
「しかし、こっちには帆波もいるし……。お前だって、地元の方が何かと楽なんじゃないのか?」
 父方の祖父が、話し合った上での結論であろうと思われる事を口にした。
「祖父ちゃん、俺、邪魔?」
「航!?」
「父ちゃんに似てる俺が一緒に住んでたら、キツイ?」
「そんな事……」
 ある訳ないじゃないかと祖父が首を振る。
「祖母ちゃん」
 呼ばれて父方の祖母が顔を上げる。
「俺、“堀越”におってもええ?」
「でも、航ちゃん……」
 老人二人と同居するよりは、お姉さんのいる京都の方が……。と、弱々しく笑顔を見せる父方の祖母に、航が、
「そっちかて、楽しいよ、俺」
 と、微笑みかける。
 ここ数日のあのハイテンションはこの為だったのだと、慎太郎は気付いた。
「そやかて、高校はどないすんねん?」
 母方の祖父が、馴染みのない土地での進学に不安げに問い掛け、
「父ちゃんが行ってた高校行く!」
 握っていたシャツをクイッと引っ張った。
「慎太郎と一緒に……」
 “……それって、公立校?”
 目で訴える慎太郎に、航が頷く。そして、昨日渡されたメモの意味を知り、慎太郎がシャツの裾の手を握り返す。
「今からこっちの高校で進路を決めるより、行きたい高校がちゃんとあるんやから、その方が良うない?」
「……航……」
「“約束”もある事だし……」
 慎太郎がボソッと呟き、航にウインクする。
作品名:Wish 作家名:竹本 緒