Wish
「考え過ぎよぉ!」
ケラケラと笑って、取った傘を元に戻す。
今日も真夏日。夕立が降ってもおかしくはないのだが、木綿花が傘を手にしたのは、また“意味”が違う。
「ところで、“共生体”は?」
木綿花が辺りを見回し、訊ねた。
「航の事か?」
「だって、いっつもくっ付いてるじゃない?」
「下で待ってる」
「やっぱ、一緒なんだ」
“仲、いいわねー。”と、木綿花がクスクス笑う。
「あいつがくっ付いて来るんだよ」
慎太郎の言葉に木綿花が微笑みながら頷く。
「いいんじゃない?」
「何が?」
「来た頃に比べたら、随分、明るくなったって先生が言ってたもの」
ちなみに、木綿花は今年もクラス委員である。
「あんたも、丸くなったって!」
やっぱりクスクス笑いながら、
「そっちは先生も予想外だったみたいよ」
木綿花が慎太郎を見る。
「余計なお世話だよ!」
「やっほーっ! 航くーん!」
階段を下り切る手前で、待っている航を見止め木綿花が手を振った。気付いた航が、振り返しつつポケットからメモを取り出している。
『どこ行くの?』
「あんた達と同じとこ」
“え?”と振り向く慎太郎。
「聞いてねーぞ」
『図書館?』
航のメモに頷きながら、
「分かんないとこ、教えてね」
木綿花が微笑み、航が頷く。
「おい、木綿花!」
「聞かなかったじゃない。元々、そのつもりで出て来たのよ」
ほら! と木綿花が持っていた鞄の中を見せる。入っているのは、ノートと教科書と参考書。疑う余地は無い。
「航くんが一緒だと、効率いいから嬉しいな♪」
慎太郎と木綿花の間で、航が恥かしそうに笑った。
図書館までの道を三人で歩く。
学校への道を途中から左折。児童公園を抜けてすぐ目の前が中央図書館だ。図書館前だから、という訳でもないだろうが、この辺りでは一番大きな公園である。それだけに、遊具も充実している。砂場、滑り台、鉄棒、うんてい、シーソー、ブランコ……。数々の遊具に航が駆け出す。
「わ・た・る!」
ブランコに乗ろうとした航に慎太郎が声をかける。
「図書館が優先! 勉強しに来たんだぞ、俺は!!」
こっちに来い! と手招きされ、口を尖らせて戻ってくる航。
「ったく!」
腕組みをして呆れる慎太郎の横で、
「お父さんは大変ね」
木綿花がクスクスと笑った。
「誰が“お父さん”だよ!?」
「あら、“保護者”でしょ?」
……と、航が戻って来ない。ふと見ると、途中の茂みの前でしゃがみ込んでいる。
「何やってんだ?」
声をかける慎太郎に、パタパタと手招き。何事かと二人して寄ってみると……。
「可〜愛い〜っ!」
「犬?」
籐のかごに子犬が一匹、クンクンと鼻を鳴らしていた。
そーっと手を伸ばし抱き上げようとする航。
「ダメだぞ、航」
慎太郎の言葉に、どうして? と見上げる。
「そいつ連れて、図書館は入れない。お前だけ、外で待ってるか?」
慎太郎に言われて、ブンブンと首を振って、航が手を引っ込める。
『帰りならいい?』
「ま、帰りならな」
「飼うの?」
『じいちゃんとばあちゃんが、いいって言ったら』
微笑みながらメモを書く。が、慎太郎が、
「ダメって言わせねーんだよ、こいつ」
ワザと聞こえる様に木綿花に耳打ち。
「そうなの?」
笑いながら聞く木綿花に、航が踏ん反り返る。
「誉めてねーよっ!!」
そして、三人揃って大笑い。
子犬のかごに手を振って、図書館への道を急いだ。
「……あ、そうか。なんだ、分かると簡単だわ」
静かな図書館の隅で、小さく木綿花の声が響く。
『定義自体は、そんなに難しくないから』
「でも、授業だとわからないのよねー」
首を傾げ、
「なんでかしらね?」
向かい側にいる慎太郎に問い掛ける。
「俺に同意を求めんなよ!」
ヒソヒソ声で慎太郎が突っかかる。授業だろうが図書館だろうが、分からないものは分からない。
「あんたは理解しようとしないからよ」
言い放つ木綿花に続いて、
『丸暗記には、限界がある』
と慎太郎の前にメモが差し出された。そして、
「ねー!」
と二人して首を傾ける。
「これ、読んでみなさいよ」
“チェッ”とふて腐れる慎太郎に、木綿花が航が説明してくれたメモを渡した。箇条書きで要点だけを書き連ねてある。確かに、この説明だと、授業より分かりやすいかもしれない。
「航くんさ、“先生”になりなよ。教えるの上手だし、向いてると思うな」
『先生?』
口を開けて、それを指差しながらメモを書く航。そう、航は話せないのだ。
「大人になる頃には治ってるよ、絶対!」
ね!? と慎太郎を肘で突く。
「“あとはきっかけ”って言われたしな……」
邪魔しないでくれよ! と手を払いながらも、ボソリと呟く慎太郎に航が頷く。
「“きっかけ”……。くすぐってみる?」
ニマッと笑って木綿花が手を上げる、が、
「それ、やった」
慎太郎がノートと睨めっこしながらボソリと言った。
「やったの!? どうだった?」
木綿花の問い掛けに慎太郎が顔を上げて、シャーペンで木綿花の頭をコツン!
「聞くなよ!」
ペロリと舌を出し、ごめんねと両手を合わせる。
「……あれ……?」
ふと顔を上げた木綿花が二人の肩を叩く。
「雨、降ってきたみたいよ」
“ほら、慎太郎が図書館なんか来るから!”と木綿花が笑う。
「俺の所為かよ!?」
『俺、傘、持ってる』
航が親指を立てる。
『祖母ちゃんが、持ってけって』
「あたしも持って来てるわよ。夏に夕立は付き物でしょ?」
「帰る頃には、止むよ!」
揃って言い切る二人に、慎太郎がヘソを曲げた。その様子をクスクスと航が笑う。
「……雷、鳴ったらやだな……」
窓の外に目をやりながら木綿花が呟き、それに頷きながら外に視線を移す航。
不意に、ガタッと席を立つ。
「どした?」
突然立ち上がった航を見上げて慎太郎が首を傾げた。航が、目の前に広げてあるノートに慌てて一文字書きなぐる。
『犬』
「あーっ!!」
二人揃って大声を出し、慌てて口を塞ぎ周りに頭を下げる慎太郎と木綿花。
一足先に片付け終わった航に、早く早くと手をパタパタしながらせかされ、急いで帰り支度をすると、雨の中、三人は図書館を後にした。
小さな折りたたみ傘を航と慎太郎が二人でさしている。その隣りに、一人で悠々と傘をさす木綿花がいる。
「誰かが連れて帰ってるといいね」
水溜りに雨が幾つもの円を描いている。
木綿花の言う通り、誰かが連れて行ってくれてるといいのだが……。先刻のブランコが見えてきた。降りしきる雨の中、航が傘を飛び出す。
「おい!」
慎太郎が慌ててその後を追う。
少し行くと、屈んでいる航の背中が見えた。どうやら、子犬がいた様だ。鞄からタオルハンカチを出し、濡れた子犬を拭いている。そんな航に、傘を持っている手をそっと伸ばす慎太郎。航が、子犬を抱えたまま立ち上がった。
「お前がビショビショになって、どうするんだ?」
笑う慎太郎も濡れている。
「バカねー、二人とも」
木綿花がクスクス笑いながら、少し大きめのタオルハンカチを出した。
「ワンちゃん用よ。乾いたタオルの方がいいでしょ?」