Wish
(紙に開いた穴が元で、着物に……?)
首を傾げる慎太郎の横で、
「分からへんわなぁ」
祖母がコロコロと笑った。
「もう少ししたら、お祖父さんもお茶の時間やから。ここにいてはる?」
「はい」
頷いた慎太郎を残し、お祖母さんは居間へと戻って行った。
仕事場に残った慎太郎が、仕事をしている祖父を見る。真剣な口元が、航とそっくりだ。目で方眼紙の絵を追い、手元は一切見ない。それでも、指が目の動きとリンクして一定のリズムを保ちながら動いている。ギターを弾いている時の航が重なる。
(あぁ、この人の“孫”なんだな、あいつ)
ごく自然に、そう感じた。
「おもろいか?」
不意に声がして驚いて焦点を祖父に合わせる慎太郎。
「はい。意外と」
“意外と”はえぇな! と豪快に笑う。まるで“職人”とはほど遠い笑い方だ。
「紙の穴が、着物になるんですよね?」
積まれた紙を指差し訊ねる慎太郎に、祖父が答える。
「そうや。“紋紙(もんがみ)”ゆうてな、あれを別の所で繋げて、それをまた別の機械に通すと、穴を読み取って生地が織れる」
「穴を読み取る?」
「今で言う、文字のデジタル化みたいなもんや。携帯のメールかて、原理はおんなじやろ?」
「あー、なるほど……」
「昔の人かて、凄いって事やな」
祖父の言葉に、“確かに”と思わず頷きつつも、
「この絵のどこを見て、その穴になるんですか?」
不思議に思い、またもや質問してみる。
「あぁ、この図面のここと、ここをやな……」
(あ、“図面”なんだ、これ)
「で、ポッチを抑えながら、足で、そこのペダルを踏むと……」
“ガチャン”
「て、開くわけや」
デジタルなのに、原始的!
感動した慎太郎、作業用の椅子に腰掛け、一枚分だけ職業体験。
「いや、慎太郎くんがやってはるの?」
お茶とお茶菓子をトレイに乗せて、祖母である。
「思ったより面白いです」
「“面白い”か。ゲーム感覚やな」
お茶菓子片手に、祖父がまたもや豪快に笑う。そして、
「航は?」
姿の見えない孫を心配して、慎太郎と祖母を見る。
「あ、ギターのチューニング中です」
慎太郎の答えを聞いて、
「あれの父親の毅志(たけし)もようやってたな……」
祖父が呟く。
航の父は京都の人間ではない。が、西陣の仕事の魅力に取憑り付かれ、祖父に弟子入りした。勿論、“堀越”の両親は反対したが、それを説き伏せ、この“石川”の一人娘と結婚。妻の両親と同居生活を送っていたのである。
「あの人も、やり始めるといっつも周りが見えんようになって……。お祖父さんも同じ性格やから、航は“堀越”と“石川”の両方の血ぃ継いでんのやなぁ」
祖母が静かに笑った。
姉があの状態である事を思えば、“航”はどちらの家にとっても祖父母が生きていく為の“生き甲斐”なのだ。
「時々、ああやって周りが見えんようになってしまう子やけど、仲良ぅしたってな」
「はい」
二人の言葉に、笑みを返して慎太郎が頷く。
「もうひとつ、食べはる?」
祖母と、
「育ち盛りの男の子が遠慮なんかしなや」
祖父にお茶菓子の生菓子を勧められ、小腹の減っている慎太郎が申し訳無さそうに皿を出した。
その時、
“ドタドタドタッ!”
けたたましい物音を立てて、航が階段を転がる様に下りてきた。
「航?」
顔を上げた慎太郎と目が合い、飛びつく様に腕を掴む航。
「な、何!?」
お茶を零しそうになった慎太郎が、湯飲み茶碗を慌ててテーブルの上に置く。
「航……?」
しがみ付いている肩を軽く叩いて声をかけると、大きな瞳が不安そうにこちらを見上げた。
「どうした?」
『良かった。シンタロ、いた』
「何だ、お前は?」
と笑う慎太郎。
『気が付いたらいないから、“夢”かと思った』
……両親を失ったのも、姉がここにいないのも“夢”かと思った。でも、ここは両親の部屋で、チューニングしてるのは父のギターで……。あれ? ここに慎太郎がいなかったっけ? 一人でここにいるって事は、そっちが“夢”? “ここに一人でいる”事が現実? “慎太郎”は心が作り出した空想?
それを確かめたくて、航は階段を駆け下りたのだ。
「バカだな……」
フッと笑った慎太郎が、“食うか?”と皿の生菓子を差し出す。
「半年間、“夢”見っ放しかよ!」
頭をクシャクシャされながら、航がお菓子を頬張る。
――― 木綿花が色々調べてくれた。航の姉の事を知った時に、何か役に立てればと、動けない慎太郎の代わりに自分の持てる人脈を駆使して、かなり専門分野まで手を伸ばしてくれたのだ。結果、不安になるのは“事故”と“両親”を失ったショックからくるもので、心が大人になるまでは付いて回るだろう。そして、航が子供っぽいのは、頭の怪我は勿論だが、目の前で起こった事故に対するショックの所為で、若干の幼児返りがあるからだろう、とレポート用紙十数枚に渡ってまとめてくれた。
「航くんにとって、慎太郎はやっぱり“保護者”なのよ」
木綿花が妙に納得して慎太郎に告げた。
―――「しょーがねーな……」
呟く慎太郎に、お菓子を食べ終わった航が微笑む。
「チューニングは終わったのか?」
慎太郎の問いかけに、航が指のアンコを舐めながら頷き、
『姉ちゃんの病院は?』
メモに書いて、祖父母に見せる。
「もう少ししたら、仕事が一段落着くさかい、そしたら行こか?」
航がニッコリと頷く。
「あんまり毎日は帆波が疲れるさかいに、一日おきにしよな」
祖母がお茶を片付けながら微笑んだ。
病院の廊下の一角に、ベンチが並んでいる箇所がある。この前来た時も、今日も、慎太郎はここにいた。病室に入っても何もする事がない。家族なら呼び掛けもいいのだろうが、慎太郎は航の付き添いであって、航の姉とは面識もないのだから。
「どなたかのお見舞いですか?」
おっとりとした関西弁が奥から聞こえ、ぼーっとしていた慎太郎がビックリして顔を上げる。
「……いえ、俺は……」
「前にも、お会いしてますね。覚えてはりませんか?」
穏やかな笑みが育ちの良さを物語っている。……“前”っていうと、墓参りの時だろうか? と慎太郎は自分の記憶をさかのぼってみた。
「あぁ、そう言えば……。その時も、“ここ”ですよね?」
思い出した慎太郎の言葉に、奥の男性が頷く。
「俺は、友達の付き添いなんですよ。友達のお姉さんが入院してて……。でも、居辛くて、ここにいるんです」
「僕は……。大事な人が、ここに居てるんです。でも、なんもしてやれなくて……。今、家族がお見舞いに来てはるので、“ここ”ですわ。居辛いのは、おんなじですね」
妙な空気に二人して笑い合う。と、ギターの音が微かに響いてきた。……この曲……。航だ。普段、家で弾いているのとは少し違う。いつもより、ずっと静かに優しく響いてくる様に思えた。そして、迷惑じゃないかなと奥に目をやる。
「……あ、あの……」
慎太郎が“迷惑じゃないですか?”と訊こうとした矢先、奥に座っている男性の頬に涙が流れた。
「あ、すんません。恥かしいですね、えぇ歳した男が……」
男性が慌てて涙を拭い、そそくさと席を立つ。