Wish
少ーし違う教科書は面白いものだ。一冊見終わると、慎太郎は次の一冊に手を伸ばすのだった。
―――――――――――――――
航は、自分の部屋に入るのが嫌だった。一人でそこに眠るのが嫌だった。だから、慎太郎に来て貰った。只のわがままなのは分かってる。でも、家族の思い出がいっぱい詰まったこの家のこの部屋に一人でいる事は、“墓参り”より辛いと気付いたのだ。慎太郎に対しちょっぴり心が痛みつつも、その実、安心している自分がいる。トイレから戻ってくる階段を上がりながら、心の中で何度も“ごめんね”を繰り返す。ちゃんとした理由は分からないけれど、慎太郎といると安心する。何かあっても、大丈夫だと思える。慎太郎が航に何かしてくれた訳ではないのだが、“絶対”と言い切れる自信がある。
“……駄々っ子の弟……”。
病院で祖父が言っていた言葉を思い出す。航自身その通りだと思う。
あの日、泣いている自分の横にずっといてくれた慎太郎。振り返った時に、黙ってそこにいてくれたのが無性に嬉しかった。“友達”になりたいと、本気で思った。
ふと、自分の隣の部屋のドアが少しだけ開いている事に気付く。父母の部屋だった。通りすがりに目線がいく。入る勇気は、まだ、無い。隙間から、父のギターが見えた。鼻がツンと痛くなって、航は足早に隣の自分の部屋へと入った。
―――――――――――――――
「おう!」
慎太郎が戻ってきた航に、“借りてるぞ”と教科書をチラリと上げて見せる。
「どした?」
手にしていた教科書を机の上に置き、慎太郎が航の顔を覗き込む。黙って首を振る航。
「泣きそうな顔してっぞ!」
そう言って額を突付く。航が、突付かれた額に片手を当てて顔を上げた。
「ま、ここに一人で寝るのも辛いもんな……」
言いながら、慎太郎が再び教科書を手に取る。航の瞳が丸く見開く。
「その為に、俺、引っ張って来たんだろ?」
教科書に目を通しつつ、慎太郎が笑った。
『なんで?』
机の上のノートに手早く書いて航がそれを差し出した。
「ここに着いた時に気付いた。……俺も大概、鈍いからさ……」
慎太郎がパタンと教科書を閉じる。
「祖父さん達の前で泣く訳にはいかねーもんな」
航の頭にポンと手を置いて、
「お前、すぐ泣くし……!」
慎太郎が笑った。
『泣いた事ない!』
「どこが!?」
『泣いたの、二回だけ!』
え? と慎太郎が驚く。二回って……。
『泣いた事、シンタロしか知らない』
そして、唇に人差し指を立てる。
『祖父ちゃん達には、絶対に内緒!』
「駄々っ子の兄ちゃん!」
慎太郎が航を指差し、航が胸を張る。
「褒めてねーし!」
笑い合う二人。
心配して覗きに来た祖父母が、そっと部屋を離れた。
翌日、昼前。
『今度は、春休みに来るから』
新幹線のホームで航がメモを京都の祖父母に渡す。
「そうやな。今度は、もう少し、長い事泊まってったらええわ」
祖父が閉じかけたドアの向こうで微笑む。
「気ぃ付けて」
同じ様に微笑む祖母。父方の祖父母と慎太郎が頭を下げる横で、航が元気に手を振った。
冷たく澄んだ冬の空の下、新幹線で四人は京都を離れた。