Wish
……一文字。
『ば』『−』『か』
「って……。ガキか! お前は!?」
笑いながらふざける二人を見ながら、
「仲、良ろしいな」
「でしょう? 人見知りの強い航ちゃんが、あんなに懐くなんて……」
「よう笑(わろ)てますなぁ」
後ろの祖母二人がクスクス笑っていた。
大きな墓地の陽当たりの良い一角に、航の両親の墓はあった。手桶の水で墓石を清め、買って来た花を生ける。航達と一緒に、慎太郎も手を合わせた。慎太郎自身、正直、墓参りなんて幼稚園の頃にしたきりだ。母の祖父母の墓だから、慎太郎にとっては曾祖父母の墓になる。祖父もそこに入っていると聞いた。航の祖父母達をみながら、慎太郎は、祖母の事を思い出した。祖母は、まだ元気だ。年に一回は、母と会いに行っていた。記憶に間違いがなければ、今年、六十歳になる。現役の華道の師匠(せんせい)だ。そういえば、ここ何年かは会っていない。「面倒くさいから」と、母一人で行ってもらっている。
……今度は、一緒に行くかな……。ふと、そんな事を考えていると、
『ホームシック?』
突然目の前にメモ。驚く慎太郎の隣で、航がクスクスと笑っている。
「んな訳ねーだろ! まだ半日も経ってないぞ」
「どないしましょ。病院なんか付いてきはっても、する事おへんしなぁ」
「一旦、家まで行って……。慎太郎くん、そこで待っとくか?」
「一人やけど……」
母方の祖父母が、どうしたものかと問い掛けてくる。
(一人で、家の中でゴロゴロ……。いいかも……)
どうせ行っても何もする事がないのだ。だったら、今日、無理矢理起こされた分、寝ておくのもいいかもしれない。などと思った慎太郎が、祖父母達の言葉に頷いた。
「……そうですね、じゃ……」
と、グイッ! と袖を引っ張られる。航だ。
「何だよ、お前は!?」
『一緒に行く!!』
「は?」
訊き返す慎太郎に、差し出したメモを引き戻し慌てて、
『病院に、一緒に行く!!』
頭に付け足す。
「え?」
そして、更に、お尻に追加される。
『の』
ぶっ! と噴出し、
「はいはい、行ってやるよ」
航の不安そうな瞳を見て、慎太郎が頷いた。
京都中央総合病院。
……の五階の一室に航の姉はいた。別に訊ねる事でもないので、なんの予備知識もなくのこのこと、文字通りのこのこと付いて来た慎太郎だったのだが、ドアを開けた途端に“予備知識”が必要だった事に気付いた。
ベッドの上に横たわる女性の身体から伸びているコード……。室内に響く電子音。細い腕には点滴がなされており、布団の膨らみが……太ももの辺りでなくなっていた。
自分は今、どんな顔をしているのだろう……。そう思って周囲を見回すが、みんながベッドの上に視線を集めていて、内心ホッとする。
視線を航に移すと、ベッドの横に置かれた椅子に腰掛け、丁度ギターを弾き始めた所だった。
慎太郎は、航に気付かれない様に、そっと病室を出た。
―――――――――――――――
病室を出て、少し右に行くと“休息所”と銘打った囲いがあった。小さなテーブルと幾つものソファーが、間を置いて設置してある。
奥に人影が見えたので、軽く会釈をし、慎太郎は入り口に近いソファーに腰を下ろした。
「……参ったな……」
動けない事は航から聞いていたが、まさか“植物状態”だとは思わなかった。その上、脚が無いなんて……。あれじゃ、航がここに来るのが辛いのも分かる気がする。きっと“お姉さんっ子”だったのだろう。
「もう少し、“事故”について調べておきゃ良かったな……」
ひとり腰掛けたソファの上で、慎太郎は考えた。
「詮索は嫌いだから、本人が何か言って来ない限り手は出さない。って言うのも、時と場合によるのかな……?」
やるせなさに、
「……はぁ……」
深々と溜息をつく。すると、同時に奥からも、
「……はぁ……」
溜息が聞こえ、思わず顔を見合わせて苦笑いしつつ会釈などしてみる。
「しっかりしろ! 慎太郎!!」
そう、ここで凹んでいては、何の為に京都まで来たんだか分からなくなる。……とここまで考えて、
「……あれ? なんか、自分の意思とは関係ない所で勝手に話しが進んでいた様な……?」
おかしいなと思いつつ、曲が終わった事に気付く。
立ち上がり、“休息所”を出て右に戻る。病室はすぐそこだ。病室のドアノブに手を掛け……途端にドアが開いた。
「……あ!……」
航が眉を吊り上げて、そこにいた。
「……悪ぃ……」
流石に、いたたまれなくて……とは言ずに、口篭もる慎太郎。
「……慎太郎くん……」
怒っている航の頭に手を置いて、
「もしかして、航から“何も”聞いてなかったんじゃないかい?」
と、問い掛ける父方祖父の言葉に、
「……えぇ……まぁ……」
小さく頷く。
「そら航が悪いわ」
少し奥からの母方祖父の言葉に、吊り上がっていた航の眉が少し下がった。
「お見舞いに来てくれて、いきなり“これ”では、びっくりするわなぁ」
「見ての通りどすわ。身体の方はもうよろしいんどすけど、意識だけが回復しませんのや」
病室の奥から、母方祖母が顔を慎太郎に向ける。
「来る度(たんび)に、呼び掛けてるんどすけどなぁ……」
眠ったままの孫娘の手を擦りながら、母方祖母が「堪忍ね」と哀しげに微笑む。
『ギターは、俺の声の代わり』
あぁ、なるほどね……。と渡されたメモを見て、慎太郎が頷いた。
「いつも弾いてたんだ?」
慎太郎の呟きに今度は航が頷く。
「久し振りに航のギター聴いたさかいに、今日は笑(わろ)てるわ……」
握り締めたままの手を離す事無く、祖母が呟いた。
『なるべく来るようにする』
ベッド脇から動こうとしない祖母にメモを渡す。
「無理せん程度にな。あんたかて、完全やないんやから」
その様子を見て、慎太郎が気付く。両親を亡くした航にとって“姉”が生きて行く上での支えであって、娘・息子夫婦を亡くした祖父母達にとって元気に動いている“航”が支えなのだと。
(……じゃ、こんな所まで来てる“俺”って……何?)
「……の中じゃ、そりゃもう、兄弟みたいで……」
「駄々っ子の“弟”にしっかり者の“お兄さん”ってとこやな」
双方の祖父の声が耳に入って、ふと我に返る慎太郎。“弟”に“お兄さん”?
『誕生日、いつ?』
首を傾げている所に、隣からメモが差し出される。
「俺?」
自分を指差す慎太郎に、航が頷く。
「2月13日だけど……?」
慎太郎の答えを聞いて、親指を立てる航。
『俺のが、お兄さん!』
「は!?」
『俺は1月生まれ』
差し出すメモに、母方の祖父が笑い出す。
「訂正やな。しっかり者の“弟”に駄々っ子の“お兄ちゃん”や!」
大笑いする祖父母達の間で、航が膨れた。
……ベッドの姉が、少し、笑った気がした。
そのまま外で食事を済ませ、夜に京都の祖父母宅に到着。航と慎太郎には、二階の航の部屋があてがわれた。トイレに行った航を待っている間、慎太郎はというと、用意されている布団の上に胡坐をかいて室内を見回した。机もタンスもここに住んでいた時のままらしい。教科書が本棚に綺麗に並べてあるのを見止めて、手に取り、見始める。
「おーっ、微妙に違う……」