愛と引きこもり
キスをされた。あの、およそ性欲なんてかけらも見せなかったような直樹に、寝ているときにキスされた。唇を、口の中を舐められて、髪の毛も触られていた。好きとか大好きとか、抱きつくとか。そんな幼稚な感情表現しかしてこなかった、彼に。
思い出して顔が熱くなってきた。油断と、言えるかもしれない。一緒にいられればいい、そういう空気を七海は察知していた。だから彼に触れるのはあまりしないでいた。好きでいてくれればいい。その思い込みは薄っぺらい偽善で、強がりだった。
浅はかさを見抜かれたのかと思った。直樹とは違って、いろいろとほしがりの自分を知られたのかと思った。
手、目線、言葉、声、気持ち、体温、それから。なんでもほしくなっている強欲さを、七海は隠しておきたかった。彼の都合のいい子、でいたかったのかもしれない。冷静な自分でいたかったのかもしれない。彼に好きだと言われてなんてことのないように頷ける自分。それを、失いたくなかったのかもしれない。
しかし、本当に嫌だから逃げたのではない。
二度ほど、キスしたことがある。あれは親愛に近く、欲望の影はなかったのだ。けれども今日のはあきらかに、ただの「好き」ではなかった。
嬉しかったのだ。彼に「対象」として意識されたらしいことが、あの場に留まっていられないくらい嬉しかった。どうしていいかわからなくて、逃げた。どういう顔をすればいいのか、考える力もなかった。
指で唇を撫で、内側を舌で舐めてみる。直樹は自分のなにに欲をかきたてられたのだろう。長い髪を好きだと言ったのを、彼は覚えているだろうか。
「覚えててくれなくてもいい……」
この際、欲深いところもなにもかも知られてしまってもいい。身体を押し拓かれてもいい。最後に残るのはおそらく、好き、ただその一言のはずだ。
突き飛ばしちゃったけど、頭打ってないかな。一人で大丈夫かな。また出て行かれるなんて焦ってないかな。
肝が座ったとたんに、右往左往していた思考が結束した感じがする。あわてふためく直樹を想像して、さらに肩の力が抜けていく。
それにしても寝込みにとは、ずるい。流れていく窓の外の景色を眺めながら、七海は改めてむっとした。まだ電車を乗り換える気にはならない。