愛と引きこもり
なんだかこみ上げるものがあって直樹は大股でソファまで戻った。新婚さんってこんな感じなのかななんて馬鹿らしいことまで考えた。
無理矢理ジーンズをたくし上げた足をぶらぶらさせていると、足許にひざまずいた七海から非難を受けてしまった。
「動くと肉切りますよ。……直樹さん、痛いの嫌いでしょう」
「うーん、ななみちゃんのうっかりならかわいいから痛くても許す」
さらにふざけて足首を揺らしてみたら甲をぺしりとはたかれた。
「直樹さんっ!」
この呼び方もだいぶ板についてきて、直樹は嬉しい限りである。近ごろではめったに「先生」とは言われなくなった。徐々に変わっていくようで、変わっていない日々がゆるやかに続いていく。理想、という言葉。その意味が直樹にはなんとなく実感が持てるようになってきた。
「冗談です、冗談」
ごめんなさいと胸の前で手を合わせる。ちょっと拝むみたいな格好になってしまって直樹は一人で押し殺すように笑った。
しかしいっそう冷たい目で七海に睨まれてからは、直樹は爪切りの音に耳を済ませた。
ぱちん。ぱちん。規則正しく、丁寧な仕草で七海が足んぼ爪を整えてくれる。土踏まずを支えるようにして持つ手はほっそりしているわけでもないが節くれだっているわけでもない。少し日に焼けた肌。さらさらした手のひら。直樹は、いつの間にか腹に力を入れていた。
ぱちん。ぱちん。もう片方の足にそれは移り、先ほどと同じく心地のいい音が淡々と響く。なにか変わったような、そうでもないような。直樹はひたすら、心の中にもやもやしたものを飼いならそうとした。
「ありがとう」
「いいえ」
切り終えると、下地にしていた古新聞を丸め、七海がごみ箱に放った。うまい具合に壁に当たったそれは大人しく筒の中へ落ちていく。
不意に、爪切りを持ったままの七海の右手が膝に置かれた。ぎょっとしている間にも彼はソファに乗り上げて左手で肩に触れてくる。近い。あまりに近かった。こんなに至近距離で七海の顔を見るのは、好きだと告げてキスした日以来だ。
「ななみ、ちゃん?」
眉をわずかに寄せ、七海は内側から唇を噛んでいた。ふっと瞼を閉じる。下瞼に睫毛の影がほのかに現れた。