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フジイナオキ
フジイナオキ
novelistID. 20353
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猫と二人- two persons with cat -

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「うぅわあ! 可愛い! ほんとに靴下履いてるみたい!」
「え? 僕の話、信じてなかったの?」
 葉月は美樹田の家に入るなり声を上げた。美樹田の家は都心から
少し離れた場所にある2Kの賃貸アパートで、二人は飲茶の店を出
た後、約四十分かけて美樹田の家に辿り着いた。部屋の中は幸いに
も先々週に葉月が来た時に片付けていってくれたので、活字の塔は
二つ程で収まっている。
「そりゃあねえ、見た目の事に関しては話半分でちゅよねぇ? こ
の人変わってまちゅもんねぇ? ほら、この子もそうだって言って
るよ」
「たぶん、言ってないと思うよ」
 動物に話し掛ける時、よく言葉がおかしくなる人種がいるのは美
樹田も知っていた。動物好きと呼ばれる人達の多くがそうだ。自分
の恋人もそうだとは今初めて知ったが、美樹田は特にその事につい
て何も言わずに黙っている事にした。触らぬ神に祟りなし、だ。
 葉月は猫を転がすように撫で回すと、「この子お腹ぱんぱんだぁ。
ちゃんとおトイレしてるのかな? 知らない家で緊張しているんで
ちゅねぇ」と、独り言のように笑いながら呟いている。楽しそうだ。
これだけで猫を拾ってきた報酬としてはお釣りが来る。
「で、名前考えた?」葉月は猫の喉をさすりながら聞いた。
「え?」
「「え?」 じゃないよ。この子の名前決める為に、わざわざ映画を
見るのをやめて賢二君の家まで来たんでしょ?」
「あぁ……、そういえば、そんな話だったね」
 これは予想外だった。美樹田は、てっきり猫の名前は葉月が決め
るものだと考えていたからだ。葉月は猫の喉をさすったまま何も言
わない。明らかに美樹田の返答を待っている。どうやら葉月は美樹
田の家に着くまでの間、美樹田自身も名前を考えていたものだと思
っているようだ。
 さて、どうしたものか。これで「あ、全く考えていなかったよ」
では通じないだろう。否、通じはしても他に何か色々言われるだろ
う。または言葉を変えて、「そんなの考えているわけないじゃない
か!」と、少し興奮気味に言ってみても、やはり駄目だろう。むし
ろ、この手の奇をてらった手法を使うと、大概はロクでもない結果
が待っているのは安易に予想出来る。
 仕方がないので、非常時のように大急ぎで頭を働かせる。美樹田
の頭の中でまわる単語。シロクロ、モノトーン、キズモノ、クツシ
タ……。自分でも驚くほどにボキャブラリーが少ない。
「えっと……、ショウ……リン?」
「はい? ショウリンって言ったの? 何、ショウリンって」
「いや、ほら、そいつ額にポツポツ斑点があるでしょ。確か昔観た
映画の少林寺の人ってそんな感じだった……、と思う」
「あぁ、そっか……、なるほど、確かにそう言われればそう見える
かも……」葉月は猫の額をじっと見つめた。「でも駄目、却下ですぅ」
「後学の為に一応聞くけど、その心は?」
「可愛くない」
「あぁ……」
 それなら僕に聞かずに自分で決めなよ、という言葉が真っ先に浮
かんできた美樹田だったが、今回もやはり黙っている事に決めた。
葉月との会話に限らず、美樹田は素直に思った事を飲み込む習性が
ある。自身が良いと思った内容でも、相手によっては誤解を招く。
良訳口に苦し。
 だが、この程度の苦さでコミュニケーションを取れるのであれば、
大した事はない。相手が葉月ならば尚更だった。いつだって恋人想
いの美樹田だ。
「えっとさ、取り敢えず、参考までに、葉月さんが可愛い名前を言
ってみてくれるかな? そうすれば僕も何か思いつくかも」
 美樹田の、濾過(ろか)して最大限に譲歩した提案に、葉月は「そうねぇ
……」と呟く。猫はゴロゴロ喉を鳴らしている。いつの間にか、葉
月は猫の喉ではなく背中を撫でている。
「じゃあ、マリーってのはどう?」葉月は猫の背中を撫でながら提
案した。
「マリー? ビスケットか何か?」
「違う。アントワネットの方」
「ああ、そっちのマリーね……」美樹田は猫の尻尾の付け根あたり
を覗く。「でも残念、そいつ雄だよ」
「え、うそ? ……あ、ほんとだ……」葉月は猫を仰向けにすると、
股を確認した。付いていたようだ。「じゃあ、マリーじゃなくて、ル
イ」
「さっきから何でフランスなの?」
 その後も様々な議論が美樹田と葉月の間で交わされた。ムッシュ、
ナイト、アーサー、ギュスタフ、ヨアキム、ルート、オーム、ジュ
ール、カロリ、ヘクトパスカル、クロクロ、シロクロ、ソックス、
タマ、いずれもどちらかが提案し、どちらかが異を唱えるという形
のまま、三十分は話し合っていた。決定打は未だ無い。葉月にひと
しきり撫で回された猫は、自分の名前について話しているのを知っ
てか知らずか、部屋の隅で丸くなっている。仮に知っていたとして
も、あまり興味はないようだ。
「あのさ、ちょっと熱が入って来ちゃって暴走気味だから、取り敢
えず落ち着こう。煙草吸っていいかな?」
「ここ賢二君の家でしょ、ご自由にどうぞ。ていうか、暴走してい
るのは賢二君だけじゃないの? 何、ソックスって」
「靴下だよ。ほら、靴下履いているみたいってキミもここに来た時
に言ってたじゃん。それに暴走って意味ならキミだって充分暴走し
ているよ。ギュスタフ……だっけ? あれなんか、どこの伯爵かと
思ったよ。野良から爵位持ちって、どれだけ出世しているんだろう
ね、そいつ」
「格好良くっていいじゃない。ねえ? 格好いいでちゅよねぇ?」
葉月は部屋の隅で丸まっている猫に同意を求めたが、猫は耳を数回
ひくつかせただけで反応は薄い。
「興味ないってさ」
「そんな事言ってません」
 沈黙。
 美樹田は煙草に火を点け、最初の一口で大きく煙を肺に入れた。
血管が収縮して体温が下がったのか、少し熱を帯びていた頭がクリ
アになる気がする。葉月は壁際で丸まっている猫を、黙ったまま黙々
と構っている。美樹田の位置からは後ろ姿しか見えないが、機嫌は
余り良くなさそうだ。