だうん そのよん
「それはそれで、わしはええねんけどな。」
つまり、今度は、それが、小僧の足枷にはなるからだ。脅すことだって、以前より簡単だし、懐柔するのも楽だ。それまでは、何にも興味がない小僧だったから、弱みがなかったからだ。仕事の上では必要な小僧だ。簡単に手放すつもりなどない。
ぶるぶると携帯が震えた。
「わしや。・・・ああ・・・そうか、ひっかかったか。・・・・・・わかった。それでは足りんやろ? おまえらの取り分は一割や。五万でええんか? ・・・・・・・ああ、そうやな。それぐらいはな。」
人間など簡単なものだ。甘い声や一夜の楽しみで勘違いする。どんどん箍が外れて身分不相応のことをやりはじめれば、目の前の現金に目が眩む。それは自分の物ではないということを忘れられるのだ。
「・・・・ホストか・・・・えげつないの・・・・」
定時連絡を切ったら、下から声がした。小僧が起きたらしい。
「えげつないことあるかい。分相応のことをしてたら、別に何も起きひん。・・・・具合はどうや? 」
「こんなもんやろ。・・・・俺、定時でなくてもええけど、今より早よ帰れるようにしてほしい。」
小僧は、人間に興味はない。だから、誰がどうなろうと動じない。今まで散々に、自分の側で堕ちて行く人間を冷ややかに見ていた。だから、感想を漏らしただけで、すぐに、自分の今後に話を切り替える。
「おまえがトップで関西統括を組むことにした。場所も、今のとこから動かすが、それほど遠くはない。関西の支店を統合して、その関係者は全員、そこへ送るから、おまえの仕事は半分になって、責任が倍になる。それでどうや? 」
しばらく、小僧は考えていたが、「まあ、そんなこっちゃろうな。」 と、薄く笑った。それから、よろよろと立ち上がる。
「なんや? 」
「トイレ。話は終わったから帰れ。」
壁伝いによろよろと歩いている姿に、ふと気づいた。
「なあ、みっちゃん。」
「なんや? 」
「おまえ、もしかして、腰あかんのか? 」
堀内の言葉に、へっと鼻先で小僧は笑った。「残業ばっかして、一ヶ月溜めさせたら、こういうことになるんや。」 と、言い残してトイレへ消えた。
・・・・あ、そういうことかいな・・・・・こら、まだまだ、別れることはあらへんな・・・・・・
小僧の言葉に、堀内も苦笑して、冷蔵庫に入れたビールを手にして、ごろりと寝転がる。トイレから出てきた小僧は、堀内の姿に舌打ちして、自分の部屋へ戻った。
夕刻、沢野が乱入して来るまで、ふたりとも十分に惰眠を貪ったのは言うまでもない。
すき焼きというのは、各家庭によって違うらしいということは、俺も知っていた。うちの家のは、平均的なものだったらしい。俺の嫁は、元々、家で食べたことが、ほとんどなくて現物を食べたのが、俺の手作りだから、それしか知らない。
「ごぼう? なんで? 」
「ええ出汁がでる。」
「すき焼き麩? 何じゃ、こらぁー。」
「すき焼き専用の焼き麩や。味が染みたらうまいんや。」
準備されていた食材を広げて、びっくりするものが、いくつかあった。外食しかしていないであろう堀内だが、食い物には五月蝿いらしい。肉も、どーんっと二キロあったのには驚いた。
「あのな、おっさん。」
「おう、なんや? 」
別に手伝っているわけではない。俺が下僕のごとく働いているのを肴に、ビールを飲んだくれている。
「うちの嫁に、肉とじうどんをしてもらうつもりやってんやんな? 」
「せや、みっちゃんの手作りを食うつもりやったのに、おまえのになったわ。」
「ほんなら、二キロもいらんし、これ、どう見ても、すき焼き用の特上ちゃうんけ? うどんに入れるんは、切り落としでええんやけど知らんのか? 」
「切り落とし? なんじゃ、それは? すじ肉のことか? 」
そうか、高級なもんしか食ってないと、切り落としも知らんのか、と、俺は納得した。恐ろしく原価の張る肉とじうどんができたであろう。うどんと肉が半々の量というやつだ。ついでに、卵も高級品だ。
「ええ肉の切れ端のことや。うどんに入れるんやったら、200グラムもあったら釣りがくるわ。」
「あほか、わしかて二キロも肉はいらんわい。あれは、おまえ、みっちゃんへの貢物じゃっっ。」
「ああ、そうなんか。そら、おおきに。」
俺の嫁に貢いでも、あまり意味がない。それが高かろうが珍しかろうが、興味がないからだ。俺より俺の嫁との付き合いが長い割りに、堀内は、わかっていても貢いでくる。
「だいたいやな。十代の若造でもあるまいに、叩き壊すほどの無茶しよる旦那持ちのみっちゃんやぞ? 栄養のあるもんを貢いだらんと、倒れるやろうが。」
「へ? 」
けけけけけ・・・・と意地悪そうな顔で堀内は笑っている。具合が悪い原因に気づいたらしい。
「ええ年しとって、まだお盛んで何よりやな? クソガキ。」
「じゃかましいわっっ。人んちの夫夫生活に意見すんなや、外野っっ。」
「外野? えらい言われようや。わし、みっちゃんの親代わりやのに。」
「親代わりやったら、もうちょっと可愛がったれや。・・・・あいつ、仕舞いにぶっ倒れる。」
居間のほうは、テレビの音があるから、こちらの声は低くすれば聞こえない。言いたいことを先に言うほうがいいだろうと、俺は切り出した。すると、堀内も声を低くして、「すまんかった。」 と、片手をあげた。
「わしも、忙しいて見落としとった。・・・・・定時には無理やが、もうちょっと早よ帰れる算段は、今つけとるところや。みっちゃんにも、そう説明したから、夜逃げするような真似はせんでくれ。」
「見破っとったか。」
「当たり前や、おまえの最終手段は、それやないか。」
昔、騒ぎを起こした時も、俺は逃亡を企てた。あの時も、このおっさんは、それを引き止めた。俺は何も変わってないらしい。
「水都は、なんて言うた? 」
「『そういう、こっちゃろうな』って言うた。まあ、それで納得せんかったら、おまえを山車にして脅すけどな。」
「ははははは・・・・俺、今、刃物持ってんねんけど? おっさん。」
「どあほ。わしを刺したら三年は服役じゃ。三年も、みっちゃんを夜啼きさせるつもりか? 小僧。」
「・・・なるほど・・・・そうくるか。」
「あほなこと言うてんと、さっさと材料を切れ。」
たぶん、堀内が来た時点で、話は纏まったのだろう。古巣に引き戻されることについて、俺の嫁は承諾はしたらしい。なんだかんだ言うて、堀内のおっさんは、俺の嫁には甘いのだ。気分的には父親気分だと、以前から言う。
「あんたが引退したら、水都も専業主夫にするからな。」
「せやな、そうしたったらええわ。みっちゃんが、それまでに経営に参加してなかったらな。・・・・・おいおい、こぼうはササガキやっっ。そんなザクザク切るんやないわ。」
後半から、また声が大きくなる。あまりひそひそしていては、俺の嫁が不審に思うからだ。
「それやったら、ササガキを買おてこいやっっ、おっさん。」
だから、俺も怒鳴り返しつつ、ごぼうをササガキにやりかえる。