夢見る明日より 確かないまを
4
「ただいま」
家のドアを開けると、リビングからおかえり、と弟の声。
「健、早かったな」
リビングのドアをあけて、弟に声をかける。
「うん、今日部活なかったし」
「母さんは?」
「買い物だって。あとで兄ちゃんに松下さんとこ行ってきて欲しいって言ってたよ」
「ああ、わかった。じゃあ、俺は部屋にいるから」
「あーい、ベンキョ頑張れよ、受験生」
「お前も2年後には同じことするんだよ」
「へいへい」
弟の生返事を聞きながら、部屋へ。
鞄を置いて、窮屈な制服を脱いだ。
ジーンズとロンTに着替えて、携帯を開く。
池野から渡された番号とメールアドレスを登録する。
「・・・俺が池野を好きになれば、問題ないのか・・・」
それなら、それに越した事はない。
努力はしてみよう、と思った。
心の蛇口を少しずつひねって、閉じていけば良い。
その代わりに別の、今まで意識したこともなかったような蛇口を少しずつ「開」の方向へとまわせばいい。
登録完了の文字を見届けると、ベッドへと携帯を投げて、参考書を開いた。
「孝志、松下さんのところ行ってきてくれる?昨日届いた林檎もって」
夕飯のあと、母親から林檎を渡された。
時間はもう8時をすぎている。
「そろそろお夕飯食べ終わったころでしょうから」
予測していたことだったから、文句も言わず、素直に林檎だけを持って、家を出た。目指すのはすぐ向かいの赤い屋根の家。
「あら、いつもいつもありがとうね。そうだ、この林檎でアップルパイを作らせてもらうわね。冷凍パイシートを使うから1時間くらいで出来るけど、後で司に持っていかせるわ」
「はい、ありがとうございます」
「孝志?」
リビングに司が入ってくる。
「司、邪魔してる」
「ああ、林檎持ってきてくれたんだ」
「これからアップルパイ作ろうと思って。1時間くらいでできるから、司は後で孝志君のところに持って行ってね」
「孝志はうちで食べてけば?あ、ちょっと部屋来てよ。数学が1問わかんないんだ」
孝志の返事も聞かないまま、司は家の階段を登る。
「こら、司!」
司の母が声を飛ばすけれども、その声は届いていない。
「ごめんね、孝志君」
「いえ、大丈夫です。アップルパイは一緒にいただけないと思いますが」
「あら、何か用事?」
「ちょっと、9時に電話がかかってくる約束があって」
「あら、彼女?いいわねえ。司も彼女を連れてくれば良いのに」
「え、司、彼女がいるんですか?」
「いないから心配なのよ」
ほほほ、とからかうような笑みを浮かべた。
その言葉に安心する。
司に彼女がいるかもしれないと知って、心が氷のようになった。
・・・馬鹿だな。
「孝志ー!?」
2階から呼ぶ声がする。
「すみません、お邪魔します」
「ごめんね、面倒見てやって」
2階へ上がって、参考書を見せられた。
数学の図形の証明問題。
「なんでいきなりこの三角形が2等辺だってことがわかってるわけ?」
司が解答に書かれた証明の手本に文句をつける。
「これは、この三角形とこの三角形で中点連結定理が成り立ってて・・・」
数学の問題を解説する。
確かに模範解答にしては少し省略が過ぎる気がする。
「はぁー、やっぱ数学じゃ孝志には敵わないなー」
解説が終わった後、司がそう言った。
「何言ってんだよ、学年トップが」
「数学と理科じゃ孝志に叶わないって。その2教科はいつも1位なくせに」
「その他の教科は全て1位の司に言われてもな」
苦笑して、立ち上がった。時間はもう9時になる10分前。
「トイレ?」
「いや、今日はもう帰るよ」
「なんで?アップルパイ食べていけば良いのに」
「悪い、9時に電話がかかってくる約束があるんだ」
「へー、誰?」
「雪村」
口からとっさに出た嘘。出た名前は仲の良い同じクラスの男子。
「なんでまた?」
「相談があるんだと」
「へー。じゃあアップルパイは後で持っていくから」
「ああ、悪いな」
玄関まで司に送ってもらって、家を出た。
徒歩5秒で自宅。
「おかえり、どうもありがとね」
「うん、しばらく部屋で勉強してるから邪魔しないように健にも言っておいて」
「ええ。ひと段落したら降りてらっしゃい、お風呂入れておくから」
母親の言葉に頷いて、部屋へと階段を登った。
作品名:夢見る明日より 確かないまを 作家名:律姫 -ritsuki-