書評集
井上靖「猟銃」
この小説は、愛というものが私秘的であり、それゆえに愛するものは他人を騙さなければならず、孤独な蛇ならざるを得ない、そういうことを示すと同時に、一つの愛をめぐる物語に対する、妻、愛人、愛人の娘の微細で激動する心の動きを緻密だが過剰でない文体で描き尽している。
愛する、愛しているということは、おおっぴらには口にできない。なぜなら愛とは人格の大きな部分を費やしてなされる大きな出来事であり、しかもそれは傷つけられやすく、また愛するものは傷つくことに耐えられないからだ。それ故愛というものは秘匿される。そして、お互い愛し合っている者同士の間でも、愛は秘匿されるのだ。愛というものは孤独に遂行される独立燃焼なのである。
それ故、愛している人間ほど孤独になるのである。これは、愛というものが相互の連帯を生み出すいわば孤独の解消作業であることと矛盾するようだが、矛盾しない。なぜなら、愛という強い結びつきがあるからこそ、逆に相手に踏み込まれない・理解されない自分のどろどろして不明瞭な領域が明らかにされるからだ。その愛するが故の孤独を井上は「蛇」で表した。
愛し合うというお互いに何もかもさらけ出すような行為においてさえ、人間はそれでも秘匿する何かをもっている。それは人間的でない爬虫類的なものであり、とても気味が悪く、鋭く、それによって常に眼光鋭く相手をだまし続けなければならない。これこそが本当の人間の「罪」であり、愛しながらも蛇でなければならないというのが愛する人間が「悪人」であるゆえんであろう。