書評集
川端康成『古都』
この小説には矛盾を感じる。どういう矛盾かというと、語られるべきことが予言されていながら、それが結局語られないまま終わるという矛盾である。川端は、読者が予期するような「語るべきこと」を、ほのめかしながらも結局語らない。
まず、千重子と苗子は一卵性双生児で二人とも美しいという設定なのであるが、どうも川端は千恵子の美しさばかり描き、苗子についてはたいして美しく描かない。特に、千重子はそのまっすぐな気質のゆえに内面的に美しいが、苗子はただ封建制度に従属するだけの魅力のない娘として描かれる。また、秀男は結局千重子にひかれながらも苗子に求婚する。苗子は千恵子の影にすぎない。読者としては、双子であるのだから苗子も千恵子同様美しく描いてほしいと思うのだが、結局読者の抱く苗子のイメージは、田舎のぱっとしない娘でしかない。
さらに、秀男の求婚が結局苗子に受け入れられるのか、また真一とその兄の千重子への思いはどう結実するのか、その伏線だけが張られていて、結論は出ないまま小説が完結する。読者は、恋の結末を描くべきだと感じるが、川端は描かない。
このような矛盾、つまり、世界設定と現実の描写との間の矛盾、言い換えれば書かれるべきことと書かれたこととの矛盾、これは、結局川端の感覚重視の気質に由来するのではないだろうか。実際『古都』は、京都の風物を美しく描き、また千重子と彼女にまつわる恋模様を美しく描く。川端は感覚を重視する一方で意志を重視しない。登場人物も、意志によって何かを乗り越えるということをしない。苗子は身分の違いを克服しようとしないし、真一の兄もただ自分の欲望に受動的である。秀男だけが唯一例外的に確固たる意志を持っている。つまり、意志的に「すべき」という志向性が弱く、感覚的に「こうである」という志向性が強い。だから、描くべきことを設定してもそこへと向かう意志が弱く、ただ感覚的事実に流れていくのである。それがこの小説の矛盾を生んでいる。