書評集
ジッド『狭き門』
主人公とアリサは愛し合いながらも、アリサは婚約することを拒み、また主人公と会うことすらそれほど望まない。アリサはそのうちに主人公とたもとを分かち、ありふれた信仰に身を捧げていこうとする。アリサの態度から読み取れるのは、エロスという混沌に対する恐怖である。恐怖、という言葉は適切ではないかもしれない。とにかく、混沌に身を委ねる際に人間に訪れるあのためらい、それが強いために、結局主人公と結ばれることができなかったのだ。アリサの態度はいわゆる「禁欲」ではないと思う。禁欲の仮面をかぶっているだけであって、その本質にはエロスという混沌に呑まれることへの躊躇があったのだと思われる。
恋愛において、人間は常に秩序と混沌の間でバランスを取っている。「あの人のこういうところが好き」と言語化する時、それは恋愛の混沌に対する秩序の側の精いっぱいの抵抗である。恋愛の本質はカオスに他ならず、だが、カオスであるからこそ人間はそこから距離を取ろうとする。秩序立っていて制御可能であれば、恋愛は楽しい。それこそ、アリサが文通を好み直接会うことに乗り気でなかったかのように。文通での恋愛は全く安全である。そこでは人間は恋愛を言語や秩序に還元できるからである。文通での恋愛ほど制御可能なものはない。アリサはそのように制御可能で秩序だった恋愛を求めていた。そして、恋愛が制御不能になりかかったところで、彼女は神を持ち出したのである。神の秩序によって恋愛のカオスに精いっぱい抵抗しようとしたのだ。