書評集
向田邦子『思い出トランプ』
あらすじで語ってしまうと、小説の魅力は激減する。だが、その激減の仕方にも度合いがある。普遍性の強い小説、ありふれた小説は、あらすじで語ってもそこまで魅力が激減しない。だがこの『思い出トランプ』はどうだろうか。あらすじで語ってしまうと、ほとんど魅力がなくなってしまうのではないだろうか。
人間や人生を、論理的に読み解こうとすると、どうしても抽象的な骨格ばかりが見えてしまう。そのような抽象的な骨格のうねりによって感動を生み出すタイプの小説もあるだろう。だがこの短編集は、そのような論理的な見方とは正反対の読み方によってよりよく味わわれるタイプのものである。つまり、人間や人生の個的な部分、個性、癖のようなものの愛おしさを味わわせるタイプの小説である。
人は、例えば恋愛をするとき、相手の抽象的な人格に恋をするのではない。些細なしぐさや特徴、そういうものが好きになるのである。同じように、人間関係においても、人は他人の個性に着目して付き合っていて、それぞれの個性に愛着を持つのである。これは論理というよりもむしろ情であり、人間の情は細部や個性や癖にまとわりついて居心地の良さを感じるのだ。
この小説は普遍的な小説ではない。人生の普遍的な真理や、人間の普遍的な在り方を示すものではない。そうではなく、どこにでもいる人が、それでも当たり前に備えている細かい癖や個性に着目して、それを主眼に描いているのである。だから、論理によって抽象的な骨格を読み取るべき作品ではなく、情によって、登場人物の些細な個性にひとつひとつ愛着を抱いていき、読後に何となく「この人すきだなあ」といううずくような愛情を抱いて終えるような小説なのだ。