書評集
小林康夫『出来事としての文学』
小林の批評は、彼の怜悧な頭脳から際限なくあふれ出て来るかのようだ。我々もまた彼の光速度の思考に巻き込まれ、陶酔する。彼の批評に特徴的なのは、まず、文学的な語彙によって作品を語るということ。論理的な言葉だけではなく、「水」「幸福」などの、多義的で官能に満ちた言葉を説得的に論に利用している。本来論文には不釣り合いな概念を用いて思考するということ、そこに彼の批評家としての資質を感じる。
あと、彼の思考の背後には現代思想が根強くあることがよく分かる。だが、彼は、既存の思想に重きを置くということをしない。現代思想をいかに自らのものとし、そしてそれをもとにいかに自ら独創的な思考ができるか、彼の姿勢はそういうところにある。だから、この思考は明らかにあの人の思考だろう、という場面がしばしば現れるし、現代思想の概念も積極的に使われている。だが、小林の信念は、明らかに現代思想の先を行く思考の生成する場としての文学の領野を開発することにあるのだ。
彼の思考に特徴的なのは、理論へのあてはめ、対立する概念を持ち出しながら、その対立を逆転させたり、矛盾をそのまま肯定したり、という否定技法、似たような概念をイコールで結ぶことで、対象の把握にずれや豊饒性をもちこむこと、等々である。これらの技法は現代思想の技法であるが、それを文学という複雑な対象に応用することは至難の業のはずだ。それをたやすくやってのける彼の知性は極めて強靭だと言わなければならない。
だが、彼はそのようにして、思考速度を速めすぎてしまったので、読者としてはその犀利な理論展開を十分頭に焼き付けることができない。批評は次々に論点から論点へと移っていき、そこに地道な熟考はなく、それゆえ読者も論点を十分理解することができない。確かに、批評の面白さにはそのような速度が貢献するのかもしれないが、私としては、もっと基本的な論点を十分論じてほしかった。