書評集
ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』
ラヒリ『停電の夜に』(新潮文庫)は、驚くほどの完璧さを備えた短編集だ。どういう意味で「完璧」かというと、物事や出来事や行為や発言の切り取り方が過不足ない、という意味である。事象の連鎖に、反省により亀裂を生じさせることがない。だから事象はなめらかに完ぺきに表面的に連続していく。また、事象の連鎖が人間の認識能力に忠実に従っている。人間は大体このくらいのことを日常的には認識しているだろう、という程度を正確に見極めて、過剰にも過小にも描かない。事象の細密さの適切性が完璧なのである。
この短編集を読んでいくと、意識化されないレベルに、いろんな印象が蓄積されていく。明示的な反省がないので、事象は意識上を滑って行くだけで、意識化されない底辺のレベルが白日にさらされることはない。ところが、人間の生活において、漠然とした感情や漠然とした感動を生んでいるのは、ほかでもないこの意識下の蓄積なのである。反省の亀裂、分析の亀裂は、意識下の蓄積を意識上のものとすることで人間の世界に対する印象を不自然なものとしてしまう。ラヒリにはその不自然さがない。その意味で完璧なのだ。
事象の細密さが適切であることによって、読者は非常にリアルに虚構の世界を体験できる。そして、そのリアルな世界から意識下に蓄積されたものが、読後に微妙に意識上にもたらされ、それが非常な感動を呼ぶ。蓄積されたものが一気に押し寄せてきて、一連の微妙なドラマの集積に圧倒される。この感動を非常な正確さで呼び起こす意味で、ラヒリは完璧なのである。