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書評集

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ドストエフスキー『地下室の手記』


 主人公は自分を自意識が強いと言うが、自意識とは一種の感受性だと思われる。感受性と言っても、何を強く感受するかによってその持ち主の性格・思想をだいぶ変えると思うが、主人公は自分の悲惨さ・滑稽さ・醜悪さ・悲劇性についての感受性が異様に強い。もしも彼の感受性がもっと広い領域に対して開かれていたならば、彼は詩人や小説家になっていただろう。自然の景物や人間心理、人生のうねりなどについてその強い感受性が向けられていたならば、彼は立派な文学者になっていたと思われる。
 彼は感受性の強い自律した人間であったが、その感受性はもっぱら自分の屈辱ばかり感受し、その感受の結果生じる苦痛を快楽に変換してそこで自足してしまった。あるいは、自分の屈辱ばかりを鋭利に感受しそれをもとに行動するから、不自然で演劇的な行動をする人間になってしまった。通常の人間が衝動から素直に行動するのに対し、彼は間に自意識をかませるので屈折した行動にならざるを得ない。そしてその屈折ぶりの悲惨さをまた鋭利に感受し、苦痛を感じるという始末である。
 主人公にはなぜか自己愛が欠落している。欠落したというよりは、その自意識によって自己愛が底の方から自然に充満してくるのをえぐり取ってしまうのだ。自己についての感受性は、同時に自己についての認識を確かなものにする。そして彼は自己の悲劇性ばかり感受するのだから、自分のことも悲劇的な人間だと認識するのだ。その認識が自己愛の自然な充満を排撃している。感受性の弱い人間が、自己に対して無反省で、自己愛の自然な充満で幸福に自己肯定するのに対して、彼は感受性が強く、しかもその感受性を「悲惨な自己」に執拗に向けてしまっているのだから、不幸な自己否定に向かわざるを得ない。
 さらに不幸なのは、彼が自分の悲惨さ・不幸さを克服しようとせず、その苦痛を快楽に変換してしまったということだ。この快楽というものも倒錯した快楽であり真性の快楽ではないから彼を幸福にすることはできない。彼が幸福になるには二つの方法がある。まずは、感受性を自己の悲惨さに向けながら、その悲惨さを解消するように心理的物理的な対処をとること。もう一つは、感受性をもっと広い領域に解放させ、感受することそのものの快楽を知ること。

作品名:書評集 作家名:Beamte