小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

書評集

INDEX|16ページ/45ページ|

次のページ前のページ
 

辺見庸「自動起床装置」


 睡眠と覚醒とは何が違うか。覚醒時、我々は次々と命題を能動的に定立していく。私は歯を磨いた。私は会社に行ける。私は書類を提出しなければならない。そのような、事実や可能性や当為など、様々な様相をもった命題を人間は定立するのである。ところが、睡眠時にはそのような能動性がない。我々は夢というイメージに受動的に翻弄されるのだ。そこにも事実や可能性や当為も形だけはあるが、そもそも定立する主体がいない。それらの命題は定立されるのであり、人間がそれらを定立するのではない。しかも、覚醒時の命題群はそれぞれが整合的であるのに対し、睡眠時のイメージ群は互いに不整合なことが多い。能動的で整合的な命題定立作業という覚醒とは違い、睡眠は受動的で不整合な命題被定立過程なのである。
 さて、睡眠と覚醒は交代し繰り返さねばならない。それらは季節の様なものであるが、季節よりももっと生命にとって重要であり、生命の働きそのものである。生命の働きは、睡眠―覚醒サイクルに基づいている。ところが、睡眠と覚醒の間には必ず断絶がある。なぜなら、睡眠が受動的で不整合なのに対し、覚醒は能動的で整合的だからだ。この断絶は、段階的な過程ではあるのかもしれないが依然断絶であることに変わりはない。
 さて、主人公と聡は、起こし屋として、眠っている社員を決められた時間に起こすわけだが、それは、この睡眠と覚醒の断絶をいかに滑らかにクリアーするかという作業であった。だから、その作業に機械が導入されるということは、睡眠と覚醒を文字通り断絶させ、人間の睡眠―覚醒サイクルを損ない、人間の生命の本質的な部分を破壊することに他ならない、と聡は考える。水がたとえ氷になっても、その組成はH2Oであるのと同じように、眠っている人と起きている人が、いかに外面的にも内面的にも異なっていても、その本質にある生命の組成の部分は破壊されてはいけない。ところが、機械がその断絶を文字通り断絶させることで、その人間の生命の絶対的な組成の部分が破壊されるのではないかと聡は恐れるのだ。
 ところが、自動起床装置による機械的な目覚めは多くの社員にとって好評であった。人間が起こそうが機械が起こそうが、人間の生命の本質などは損なわれなかったのだ。いわば、聡にとって絶対的であった睡眠と覚醒を通して維持される人間の生命の本質は、機械によっても損なわれなかった。聡は、生命の本質の絶対性を自らの仕事へと投影させていた。つまり、絶対的なものを維持する人間の仕事もまた絶対的である。ところが、主人公と聡の起こし屋の仕事は絶対的でも何でもなかったのである。
 つまり、この小説は、絶対的なものを維持するものをも付随的に絶対化してしまった人間が、その付随的な絶対化が無効となるのを前にして、その相対化を受け入れることができずに、判断停止に陥る様を描いたものである。拡大された絶対化は悲劇的である。だが人間は絶対化を拡大せずにはいられない。その狭間で宙づりになる人間の葛藤を描いている。

作品名:書評集 作家名:Beamte