書評集
柴崎友香『その街の今は』
この小説からは、偶然性と必然性が、互いに仲睦まじく共存している温かさを感じる。偶然的なものが必然的なものとして固定していこうとしたり、必然的なものが偶然的な現れ方をしたり、そんな中で、偶然性も必然性もどちらも世界の原理としての地位を主張しない。
主人公は、特に過去に大きな傷を負ったわけでもないし、未来に確固たる夢をもっているわけでもない。彼女の行動を規定する必然的なものは存在しない。それに、彼女は欲望が強いわけでもないから、欲望から生じる必然性もない。彼女の行動は、彼女自身もよく分からないままある程度偶然的に動いていく。そのような偶然的な彼女の行動も、男友達との出会いと関係の発展と言うある種の必然性に絡みとられていく。
そして、彼女は、大阪の古い写真が好きだ。大阪の過去を、現在を決定する必然性をもったものとして眺めるのではなく、彼女の前に新しい大阪の姿を見せるものとして、偶然的な新鮮なものとして眺める。彼女の大阪の眺め方は、過去が現在を決定するという必然性の論理に貫かれているのではなく、むしろ過去が未来として偶然的に新生するという感覚の下になされている。
偶然性と必然性と言うものは、世界を決定する根本原理である。柴崎の態度は、そのような根本原理に遡行するのではなく、むしろ、根本から遠く離れて、根本の呪縛から逃れている現在のありのままの浮動した感覚的な表層にどこまでもたゆたっていくというものだ。