光
「だぁっ!想像で泣くな!喚くな!もだえるな!!てめえはそれでも吸血鬼かよッ!まったく鬱陶しい!!大体、人間との交流なんざお前がいればそれで十分だろうが!!」
お父さん考えただけで血を吐きそう!!とか床に突っ伏してもだえる朔の頭をげしっと足蹴にして俺が言うと、朔は蹴られた頭を抑えながら、恨みがましい上目遣いで俺を見た。
「俺は人間じゃなくて吸血鬼だ。太陽の光を浴びて失神したり、銀に触ったら火傷したり、クリスマスシーズンに「きよしこのよる」や「第九」を聞いてジンマシンを出すような体質を普通だと、お前は俺に言い張れと言うのか?」
「はぁ?……ま、まぁ、そりゃ確かに変かもしれないけどよ」
たしかに、そんな人間は普通じゃない。
誤魔化しても、誤魔化しきれるようなものではないだろう。
「俺はこいつを普通に育ててやりたいんだ。普通の人間に。俺たちみたいに、いろんなものから逃げなきゃいけない生活をさせたいんじゃない。ちゃんとした人間の生活を、きちんとさせてやりたいんだ。言ってること、わかるか?」
朔は床の上にあぐらをかいて座り直し、真剣な顔で俺を見上げた。
「わかるけどよお……っていうか、そこまでいれこまなくてもさ。いいんじゃねえの?」
俺もソファの上にあぐらをかきなおした。
生来正直者で、嘘がキライなこの男は、だから真剣な時は此方も真剣にならなきゃどうしようもないことを、長年の経験から知っていた。
「人間なんてすぐに死ぬぞ。わかってるんだろ、お前にだって。どんなに俺たちが人間に入れ込んだところで、人間がどれだけ返してくれると思ってんだよ。太らして食おうとか、いいように懐かせて餌にしようとか、そういう考えがあるんならまだしも、そうじゃないなら辛いだけだぜ。普通に育てたいなって思うんだったら、大人しくどこぞの施設とかに預けたらどうよ?」
正論を吐いたつもりだった。けれど朔が言いたいのは、こんなことではなかった。
朔がまっすぐ俺を見て、それから視線を床の月に落とす。
手を伸ばせば、髪が触れる距離だった。さらさらの子供の髪をゆっくり撫でながら、朔は俺に低く聞いた。
「……こいつさ、今どうやって寝てると思うよ?」
「いや、普通に……うつぶせってぐらいだけど?つか、枕ぐらい入れてやったら?頭の下」
「まだ枕使っては寝れないんだ、こいつ」
朔が言って、月を指差した。
俺は少し身を乗り出して、赤く上気した子供の寝顔を覗き込む。
「床に耳、ぴったりつけてさ。寝てるだろ?足音聞いてんだよ。こうやって。誰かが自分のほうに近づいてくるって、そういうのを音で察知してんだな」
朔の言うとおり、月はフローリングの硬い床に、ほっぺたと耳をべたっとつけて眠っていた。
そう言えば俺が最初に近づいたときも、こいつはすぐに目を覚まして俺を見た。
俺がそれを言うと、朔は曖昧に頷いて、またゆっくり子供の髪を撫でた。
「まだそういうのに偉く敏感なんだ。最初の頃は、だから大変だった。俺が夜中にトイレに行くだろ。そうすると、もう起きてじぃっとこっち見てるんだよな。それから後は、なだめてもすかしても寝ない。今はもう大分、マシになったけどよ。……どういうことか、わかるか?」
朔が聞いて、俺は眉間に皺を寄せた。
どういうことか、といきなり言われても解らなかった。ただ単にそう言う気配に敏感なだけの子供じゃないのか、と俺が言うと、朔はその通りだ、と言って頷いた。
「ただし、敏感どころの騒ぎじゃない。人間を警戒してんだよ。おもいっきし。近寄ってくる奴とか、触ろうとする奴を、マジメに威嚇するんだ。こいつは人間で、野生動物でも、俺たちみたいに追われてるわけでもないのにな」
朔が言って、俺は怪訝な顔をした。
朔が語りだす。
「こんな子供連れまわして、実の親から誘拐だって騒がれるほど俺、アホじゃねえし。ただの迷子ならすぐ返そうと思ってさ。調べたんだよ、色々。戸籍だとかなんだとかって専門的なことは何にもわかんねえし、こいつも一人にしとけねえから、全部電話とか人づてとかなんだけどさ」
どうやら朔にもその程度の常識はあったらしく、こんなことで警察沙汰になるのはごめんだと、朔が月を拾った街の近所や、その街に行く用事がある知り合いなどに頼んで、いろいろと調べてもらったらしい。
そうして知ったいくつかのことに、朔は恐ろしく衝撃を受けたと呟いた。
「こんな見かけだろ?こいつ。だからそうなんじゃないかなぁ、と思ってたら案の定、母親の方が日本人じゃなかったみたいでさ。その所為で色々ストレスとか溜まってたのか分かんないけど、なんか随分キッツイしつけっつーか、まあ暴力ふるってたらしい。こいつに。しかもその母親、ある日こいつを置き去りにしてどっかに行っちまって、それっきり帰って来なかったみたいでさ。近所の人が言ってた。『子供の姿も同時に見えなくなったから、てっきり一緒に連れて行ったんだと思ってた』って。――……それから俺が拾うまで、コイツがどこでどんな生活してたのかって、想像するのも嫌になっちまうけど」
育児放棄や幼児虐待と言う言葉を、朔はその時初めて知ったのだという。
その言葉のもつ意味を、本屋や図書館で調べたおして、事実に打ちのめされたような気がしたと、朔はやっぱりマジメな顔で語った。
「でも俺こんな生活だし、何より人間じゃないだろ?だからこんな子供の面倒なんか見きれないって、子育てなんか出来るわけねえって、一度施設にはつれてったんだよ。でも、そこですげえ暴れて手に負えませんて言われてさ。二日で連絡が来て突っ返されて。それでしょーがなく一緒に暮らし始めた時、こいつ動かないし、喋らないし、笑わないしでホント、俺もちょっと参ったけど、でもそれが、こいつが生きるための自分なりの手段なんだってわかったら、なんかちょっとずつなんだけど、どう言うふうに接したら良いかとか、わかってきてさ。最近やっと、こうやって寝てる時、傍によっても怒られなくなった。つったって、まだ俺のこと信用して安心しきってるってワケじゃないみたいなんだけどな。だって、今でもたまに寝言で叫ぶんだぜ?ごめんなさい、お母さん、許してって。撲たないでってな」
朔は言って、月の真っ白つっても良いくらいの銀色の髪の中に、指をさしこんだ。
持ち上げるみたいに、さらさら梳いてやる。
「人間がすぐに死ぬってことぐらい承知だよ。わかってんだ、そんくらい……でもよ。『選択の余地』ぐらい、あってもいいかなって思わないか。人間は餌って選択以外の道を選ぶのが罪だとは、カミサマだって言わねえだろ」
朔の月を扱う手つきが、ものすごく優しかった。
まるで宝物を扱うみたいな。
「ちゃんと育ててやりてーンだ。餌とかそういう意味合いなんかなんもなく、ただ普通に、人間として、ちゃんと。……四つで親の足音に、毎日眠れないぐらい怯えなきゃなんねえ生活しててさ。その上、俺なんかに拾われて損な事ばっかりだって、俺、こいつに思われたくねーんだよ」
「……お前、そーゆーキャラだったか?」
そんなことを言う朔は偉く真剣で、マジメで、からかう余地もつっかかる隙もなかった。
それでも俺が茶化すように言ったら、朔はやっぱり笑った。