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だうん そのに

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 長年愛用していた筆記具は、全てが会社支給のものだから持ち帰るものはない。強いてあげれば、机上辞典とかいう辞書ぐらいだ。これらは、正式に入社する前から使っていたものだから、寄贈しておくことにした。個人的な住所録だけ紙袋に放り込み、後のものはゴミ箱へ投げ入れて、元から物の少なかった机は、綺麗に整理できた。
 何事だ? と、部屋の人間は驚いていたものの、声をかけるものはいない。これ幸いと、俺は紙袋をひとつ手にして、会社を後にした。



 まだ、午前中で、慌てて帰ったところで用事はない。せっかくなので、ぶらぶらと街を散歩した。久しぶりに、古本屋街をひやかして、のんびりと昼飯に明石焼きを冷まして食った。今日から自由の身と頭は理解しているのだが、心が追いつかない。今まで時間に追われている生活が常だったから、何をしても良い状態というのに馴染めないのだ。

・・・・いや、こういうのは初体験やなあー・・・・・

 授業をサボったことはあるが、何日も自由になるなんてことはなかった。晩ごはんの買いだしもしておこうと、デパ地下へと降りて、賑やかな宣伝で、明日が愛の告白デーだと判明した。とはいうものの、さすがに、そんなイベントをやるほどに若くはないので、そこは無視して、惣菜売り場へと足を向けた。







 あれ? と、俺は自分の家に灯りがあることを目にして慌てた。俺の嫁の風邪が、ぶり返して、早退でもしたのかと思ったからだ。しかし、部屋に飛び込んだら、台所から煮物のいい匂いがして、「おかえり。」 という穏やかなトーンの声に出迎えられた。
「珍しい。」
 俺より早く帰るなどということは、滅多にあることではないので、そう声をかけたら、困ったように俺の嫁は笑って、「無職になった。」 と、漏らした。
「ん? ムショク? それは、あれか透明とかそういう・・・・」
「ああ、無理にボケんでもええで、花月。クビ。I am fire. のほうやから。」
「おお、そうか。くくくくく・・・・・・まあ、ええやないか。しばらくゆっくりしとったらええわ。」
 何かあってブチキレたかなんかで、辞めてきたのだろう。別に、俺は、それでもええ。ちょっとゆっくりして、また働き口でも探したらええわ、と、内心で呟いた。
「これから、家事は任せてくれ。」
「おお、専業主夫か? ええがな、ええがな。『おかえり、あなた』 で、お出迎えのキスを頼むで。」
「あほか、おまえは。とりあえず着替えてこい。」
「おかず、何? 」
「キンメの煮たのとサトイモの煮物。」
 誰かが待っていてくれる家に帰れるのは嬉しい。俺は、そう思うから水都に、その環境を提供していた。だから、俺は、自分が、それができるのなら、嫁が専業でもええと思う。まあ。家賃とか考えたら、バイトくらいはしてもらわなあかんけどさ。



 俺の嫁 専業主夫化で、二日目もゆっくりと始まった。朝が弱いので、朝飯に関しては俺が作ることになっている。
「すまん。」
「いや、別に・・・・後で、『行ってきますのチュウ』とか希望。」
「あーうん。」
 寝惚けた俺の嫁は、意味がわからないままに返事して、また目を閉じている。気が抜けたと、昨晩、水都はこたつで寝転がっていたので、これ幸いと襲ったのは俺だ。これからは気兼ねなくできるな、と、耳元で囁いたら、蹴りを入れられたが、拒否られることはなかったので、了承と考えて先に進んだのは言うまでもない。で、そうなると、俺の嫁は起きられなくなる。
 朝から大層なことをする必要はないので、いつも通りに、バターを塗ったトーストと、目玉焼きぐらいを準備して、俺は早速食べた。いつもなら、ぐたぐだと呪いの言葉を吐きつつ起き出すのだが、今からは起きる必要はない。さっさと食って洗濯機を回して、俺ものんびりと新聞を読んだ。

・・・・優雅なもんや・・・・・

 いつもなら、先に洗濯機を回して出勤前に干していくが、それは、専業主夫にお任せしたので、ゆとりがあるのだ。
「そろそろ出るか。」
 テレビで時間を確かめて、嫁の部屋に顔を出した。
「水都、行って来るわ。・・・・洗濯もん干しといてや。」
「うー。」
「いやあー奥さん、そんな色っぽい声ださんといて。会社へ行きたくなくなるやんか。」
「・・・・あほ・・・行って来い。」
 布団に埋もれたままの水都の腰の辺りを、ぽんぽんと叩いて部屋を出た。出会ってから、ふたり共、バイトしていたり就職したりで、こんなにゆったりと会話することもなかったから、新鮮でしかたがない。





 定時上がりで帰ったら、食事も風呂もできていて、「おかえり」の出迎えもある。食後のデザートだと、俺の嫁が、コーヒーと共に黒いケーキを、こたつの上に載せた。もちろん、甘い物が苦手な嫁は、レアチーズケーキだ。
「デザートまで付くなんて、すごいなあー。」
「なあ、花月。おまえ、顔が緩みまくってるけど大丈夫か? 」
「いやーなんていうか、もう、ほんま。なんか嬉しいてな。あかんねん。」
「えーっと、今日のおかずがよかったとか? 」
「それもあるけど、万事が万事嬉しい気分なんよ。家に帰ったら、誰かがおるっていうのは、ええ。」
 ついでに、こっそりというか、ひっそりというか、チョコがイベント当日に現れるのもいい。いつもは、コンビニの売れ残りを叩きつけられる。それも日付ギリギリとかで、喜ぶ間もない。照れ屋な俺の嫁は、平静を装ってはいるが、実は緊張している。こっそりとバレンタインのチョコをケーキで贈っていることに気づかれないか、ひやひやしている。
「ええ、ほんま、俺の嫁は最高や。」
「お世辞はええから、はよ、食うて寝ろ。」
「くくくくく・・・・・俺、おまえのそういうとこが好きやわ。」
「あっそーかーおおきにありがとさん。」
「その棒読みにまで愛を感じるし。」
「花月、それ以上言うたらしばくから。」
 ばくばくと、自分の白いケーキを丸呑みして、さっさかと、嫁は逃げた。そんなに照れることもないだろうと言うのに。






 洗濯物を畳んでしまうと、家事もひと段落する。やれやれと読みかけの小説を引っ張り出して、それに目をやる。溜まっていた本も着々と消化中で、なんだか、あまりにも平々凡々していておかしくなる。
 もしかしたら、と、気にしていた職場からの緊急連絡もないので、すっかりと気抜けした状態だ。まあ、堀内のおっさんに連絡してあるから資金繰りなら、本社からでもできるだろう。

・・・・・落ち着いたら、バイトはせんとあかんなあー・・・・・

 ただいまは、貯まりに貯まっていたはずの有給休暇のはずで、月末に給料が振り込まれたら、それで完全に縁が切れる。それまでは、ちょっとのんびりしていようと思っているのだが、問題は次の職場だ。
 専門バカというか、長いこと、同じ職種にいたので、それ以外に、どんなことができるか、いまいち、自分でもよくわからない。できれば、同じような商売に、と、考えていたのだが、それには、ちょっと問題がある。
 というのも、俺の旦那が、俺が出迎えることに異常にはしゃぐからだ。そして、「もう無茶な仕事はせんでもええ。なんなら、もうちょっと家賃の安いとこへ越してもええしな。」 と、留めの言葉を吐いた。
作品名:だうん そのに 作家名:篠義