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貴方が望むなら[前編]

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それがどうした。それがきっかけというならお前は被虐趣味だな。
「嬉しかったです」
被虐趣味決定。今後近寄らないように、ツェツェにも忠告しなければ。
「だって、まるで変わっていなかった……ヤワ先生、貴方がプロフェだと知った時の俺の衝撃を知らないでしょ?」
微笑みはどこかくすぐったそうな感慨がこめられて、下から覗き込まれたヤワは数歩下がる。下がった分だけ距離はつめられて、最終的には壁際に。
「可愛い教え子な俺を前にして、凄く初対面な挨拶なんかしてくれるからっ」
ついうっかり嫌味を言ってしまったんですよ。しかもなんですかアレ、あの取り澄ました顔。今もですけれど。
「俺の知ってるヤワ先生はもっと粗暴だったのに」
殴られて、ああ全然変わっていなかったって、嬉しくなりました。そう、言い切る青年に気おされまくってた男は降参めいた声をだす。
「いい加減失礼だと思わないのか」
「いいえ全く!」
「メリルカルシェ、君は…」
「先生に好意なんて求めませんよ」
「いやだからな」
「先生は昔から、機微に疎い人でしたからね。他人にも自分にも」
だから嫌いだって思っていたなら不味いと思っただけです。ぬけぬけと言い切る青年は、秀麗な顔を寄せてくる。
「貴方が人の造作なんか気にしていないなんて知ってます。貴方にとって周りの人間全員が「自分ではない」という大きなくくりに入っているのも知っています」
自分と、他人の区別しかしていない。その癖、自分の感情よりも他人の感情に反応して。昔からそれが不満だった。それでも今となってはそれが付け入る隙だと思っている。
「ヤワ先生、貴方が俺をどうとも思っていないとしても構いません」
嫌いでなければそれでいい。
「そのうち、俺を好きになってもらうだけですから」
その自信も機会も幸いなことに、腐るほどあります。
けして触れはしない。けれどぎりぎりの距離で好意を囁く青年に、ヤワはどうしたものかと頭を抱えたい気分になった。それどころじゃないはずなのに。
ほんの気まぐれだったのだと思う。
王宮から子供の教師をしないかという打診があったのも稀で。胡乱に思いながらも当の子供にあって納得した。子供の出自はさることながら、容貌が世間一般的に優れていた。自分の膝あたりのサイズしかない年頃でそれだというのだから長ずればさぞかし人目を引く青年になるだろうと、かつての自分は思った。正しすぎて気持ち悪い。
これを預ける教師という存在に、怖ろしいほどの信用が必要で、適当な人材が浮かばない。それで自分を指名するというのも随分な話だとは思ったが、ある意味正しいと言えたろう。結局自分にとってこの少年の美的価値は、ただの特性でしかなく。周りがこぞって褒め称えるのは知っていたが、それがどうしたという気分でしか見れなくて。
困りきった彼の友を助ける程度の気持ちで、この少年の世話を引き受けたのだった。もっとも、条件はつけたが。
彼は少年の世話をし、学問を教え、必要であれば護身程度の腕っ節も教え込むけれど、それ以外は関知しない。そして少年が物事を判断できる年頃になればお役ご免という約束。後は自分で見て知って教師を選べということだ。
その程度の判断ができるようには仕込んでやるよ。そう言いきったヤワに、友は諸手を挙げて歓迎してくれた。友以外の者たちはヤワの素性を知らず、胡散臭い男になぜ少年を預けるのかと食って掛かってらしいが、どうでもいいことだ。王宮において友の言葉、命は絶対で。ヤワ自身が拒否しない限りは、撤回はない。
そうやって出会った子供はちまちまころころと、よくこけずにヤワを追い回してくれて。実に鬱陶しい、いや、慕われていたのだとは理解していた。
だがしかし、誰がそんなチビの頃から見ていたガキに求愛されると思うかボケ。
というか年齢差考えろクソガキ。
「先生、口から漏れてますよ、考えが」
「……」
「正しく伝わったようで何よりです」
口汚く罵ってもいいのに、ヤワ先生。そう笑う青年は確かにヤワが昔教えていた子供の面影があった。無駄に華やかで、無駄に華麗で、無駄に神々しい。
記憶はしていたが、綺麗に現在と切り離していた回路を無理につなげられた反動で、気持ちが悪い。
「メリルカルシェ・ルルラ、いい加減どけ」
「昔の通りに呼んでいただけるのでしたら」
「……」
「妥協してメリルでもいいですけど」
「………っのクソガキ、いい根性だ」
「貴方の薫陶です」
「迷惑な性格だな、今から改善しろ」
「貴方が望むなら」
「お望みだ」
「分かりました、善処します」
意訳。気が向いたら考えます。
にこにことしている青年は、すっと退く素振りを見せて立ち止まる。
「で、どう呼んでくれるんですか」
まだ聞いていなかった。そう告げる目はきらきらと緑に光る。男に迫る面じゃないだろうと難癖付けたくなる顔だった。
「全くもって、小ざかしく成長してくださりやがったもんだ……メル」
「貴方の教え方が功をそうしたんでしょう」
心の底から嬉しそうに、これ以上もなく華やいだ笑顔を浮かべて退いた青年の額を、指先で弾いた。
全くもって心臓に悪い人間に育ったものだと、ヤワは遠くを見る。こういう性格に育てた覚えはないわけだが。こういう性格に育った原因が分からない。
今更子育ての難しさ(若干違う)を考えても仕方がないと、退いた青年をさくっと無視してベッドにうずもれているシェの傍らに膝をついた。
呼吸はある。けれど意識が戻る様子はなかった。
「……運びましょうか」
「どこにだ」
「帝宮…ではまずいでしょうか」
「どういう名目て、一介の占い師を連れて行く」
そこまで考えてものを言え。手厳しく切り捨てた言葉に、青年はあっさり引き下がった。
「カプリ・シェは…」
「もうカプリではない、だろうな……〈星〉は堕ちた。シェは数日眠りに落ちて、ただの人になる」
シェは生きている。それでももう〈星〉ではないだろう。彼女がそれを選択したのだから。
〈星〉である意義を知り、そうであることに喜びを見出していた彼女を根底から変えた存在がいるということだ。考えうる可能性は、シェの思い人。〈星〉は、誰かを特定の人間を特別に思うことは許されない。無意識の範疇でそれに制約がかかっている。
ヤワの知る限り、シェがそれを苦痛に思っていることはないようで。サバサバとした口調でこんな自分だから〈星〉なんだろうと笑っていたのに。
この相手だけは、変わらないと信じていた自分を笑い飛ばすように彼女は〈星〉を堕とした。次に目を覚ましたあと、シェはヤワを忘れているだろう。
無意識よりも強く誰かを思いたがったのなら、それも仕方あるまい。淡い感情が浮かびかけて、すぐに消えた。
ヤワはシェの手を慎重にとり、その甲に軽くキスを落とす。
親愛なる、友。その一人。
どれだけ立っても絆は切れないと信じていた〈星〉。
願わくば、その葛藤、その決意、その全てに迷いがなく。彼女が彼女らしい思い切りで、彼女の意志として選択がなされたように。
「先生、寂しいですか?」
「いや……いや、そうだな。寂寥はある、らしい」
自分の感情を探って真剣に頷くヤワに、青年は何か言いたげな顔をして。黙り込んだ。
「私の知るシェここにいる。だが、私を知るシェはもういない」
作品名:貴方が望むなら[前編] 作家名:有秋