貴方が望むなら[前編]
「元祖くそガキが……本気もう放り出すぞ」
言ってる自分ですら無理だと理解している罵倒の言葉。彼をヨガタリと呼ぶ、友。トリゴエの華奢な体躯にそれでも一発はぶち込もうと決めた。
男は上掛け代わりに自分のコートを引っかぶり、苦悩のにじむ眉間に皺を刻んだまま意識を手放した。
ヨガタリとトリゴエがいつから互いを知っていたのか。それはもう本人たちにも曖昧な記憶の層にうずもれていることだ。ただ、二人は互いがいることを知っていたし、互いが、そう、呼ばれていないことも知っていたのは確か。
彼をヨガタリだと認識しているのはトリゴエのみで、彼女をトリゴエだと理解しているのはヨガタリだけ。
そういう意味では特殊な思いいれがある間柄。友、と便宜上で呼びはするけれど、本当はもっと違う言葉があるのかもしれない。二人ともが「友」以外の呼び方を必要としないからそれ以外の言葉はないのだけれど。
ヨガタリから見たトリゴエは、好きなものの為に、悲壮すぎる覚悟で存在しているようなもので。それが本当に彼女の幸せなのかを考えると、珍しくも気が塞ぐ思いがする。
トリゴエから見たヨガタリは、呆れるほどの鈍感で、鈍感であるという事実にすら気づきにくい状態で生きているのが楽しいのかどうか。それを辛いと思うことすら鈍いから、どうにか呼吸しているような存在。笑って欲しいと思える相手だった。
「やっときたかっ。なぁっヨガダリっ」
「黙れトリゴエの分際で煩く囀るな」
「あーあーはいはいそんなに我の声が聞けなくて寂しかったのかー。うんやっぱりお前は可愛いなぁっ」
「いい加減にその間違った腐った斜めった壊滅した認識を直せ」
「お前こそたまには素直になったどうなんだ。可愛げばかりじゃ世の中わたれまい?」
「おかげさんで三度の飯にも食いはぐれることなく生きてるが?」
「うん、我の話相手だって渡している金でな!」
「お前の話し相手をするだけで寿命が縮む。当然の権利だろう」
「とりあえずお茶をどうぞ」
「おー、若いのっ、腕あげた? どう? 我不味かったらぶちまけるよ?」
「人様に出す程度の腕は当然あるに決まってるだろうが」
「とりあえずラティ皇女には及第点を頂きました」
「あのぽわぽわっこかっ、あれもまぁいいよなぁ。お、けっこういい」
「光栄です…先生?」
「不味くはない」
「良かったです」
「くぅっ、このっ、おまえのっ照れ隠した科白がまたっ、たーまーらーんっ」
「ぶちまけていいか、お前の顔に」
「真顔で言うなよ」
「本気なものでな」
「だってヨダカリ見てみろよ、お前そのすげない一言だけでっ、凄いすげないのにっ、若いののテンション何気なくこうさらっとすらっとうなぎのぼりだー。よっ、罪作り!」
「これの精神面まで面倒はみてられるか」
「見てやれよ、先生、なんだろうがっ」
「断固拒否する」
「けーちー…あ、若いの落ち込んでる」
「……用がないのでしたら、退室してもけっこうですか」
「ダメ」
「好きにしろ」
「だーめー。我が楽しいから若いのはヨガタリの隣でお座り」
可愛らしく頬を膨らませて言い切った少女に、青年が迷いの目を見せて、そっと渋面を崩さない男を伺う。見られたヤワは眉をぐっと寄せて、好きにしろと再度呟いた。
「では、失礼します」
「そうそう、いい子には褒美を取らせる」
「それで私を指すな」
「若いのが喜ぶもんつったらお前しかないだろー」
「私はお前の所有物か」
「この国にいる限りはな!!」
「よし、引っ越すとしよう…まて、何かが違う」
憮然とした顔で考え込んだヤワに、少女は軽やかな笑い声を上げた。カップを空にして勢いよく、それはもう華奢なつくりのカップが砕けそうな速度でソーサーに戻して。
「さて、ヨガタリ、本題に入ろうか」
力強く宣言した。
その色彩は赤銅の華やかさ。メリルカルシェの色よりもずっと金属の光沢を帯びてきらきらと光る髪は少女の見せる尊大さに相応しい。いつもはくだらないことに笑っている目も今はそう、肉食獣の獰猛さで相手を睨んで逃さない。萌黄の緑。
対する男はくすんだ色の髪に濃すぎる緑色と、ある意味対照的な色彩で。バックに偉い人とかかれている少女を前にして常と変わらず、いいやむしろ常よりも若干好戦的な雰囲気をかもし出していた。
横で放置されている青年は、一人で寂しくカップを抱える。なんていうか、これがノウェとかなら威嚇も嫉妬もするけれど、相手が陛下ではもうどうしようもないというか。まぁ同じような目で先生を見ているわけでないからいいかなとか。色々彼なりの葛藤を経ての落ち着きだった。
三者三様、正にそんな形容に相応しい空気の中で、一番に行動にでたのは男の方。
「本題? 何のことだ」
口元に寄せていたカップをテーブルに戻し、腕を組んで少女に目を落とす。
「とぼけるな。我に嘘をついても楽しいことなんてにいぞ」
「とぼける意味がないな。私には君に語ることはない」
「ヨガタリのに癖にかっ」
「そう呼ぶのは、君だけだ」
「ああそうだなぁ、お前に語らせたいなら、「夜」呼ぶべきだ。だけどお前、夜はいやだろう?」
にぃと意地の悪い笑みを浮かべて少女は男を揶揄する。話に置き去りにされた青年を余所に、二人の間で会話は成立する。いいや、この場は少女の独壇場に移りつつあった。
男の顔がわずかにひそめられ、それが彼にとって怪訝の印だと理解している二人は相手が困惑していると知っている。
「夜は、嫌いだろうヨガタリ」
重ねての、問いかけでない断定。
「そうでもない」
「無自覚か、お前は夜出歩くのを好まないだろう。お前は夜、できることなら決まった場所から動きたくないはずだ」
「そうでもない」
「お前が帝都に越してこないのは、あの辺鄙な山間で、偏屈者として過ごしているのは、そのせいだろう」
「そうではない」
「誤魔化すなよ自分を。お前はお前に振られた役割のせいで自分を理解していないことが多々あるが」
それでもお前は、自分を見失いはしない。遠く、捕捉して、少しずつ引き寄せる。
ヒューマとは違って。
「だから我はお前がその若いのを引き受けたとき嬉しかったんだ」
「え」
話が自分の手元に戻ってきたと青年が目を丸くすると、少女はふふんと笑って手酌でお茶を継ぎ足す。優雅で尊大で雅な所作は、青年の動きに劣らない。もしかしたら勝るほどに洗練されたもの。
「若いの、お前の記憶でこのヨガタリはどうかな」
朝と昼と夜という三分割でなく、朝と夜という二分割という領域で。
この、ヨガタリは、どこか違いはしなかったかな?
「先生が…ですか」
ぽつりと絡まった糸球から一筋だけはがれるようにすべりでた声を止めるものは居ない。話題の中心であるヤワですら、そんな心当たりはないだろうと促すのみで。青年に制止を与えない。
少女は畳み掛けた。
「お前はお前の意識がない瞬間を無意識のうちに怖がっているはずだ」
お前はお前が知らないから何も感じないと決めている。
だけどお前は〈教授〉であるが為に、知らないはずのことも知ってしまっている。この世界に刻まれた全ての歴史を読み解く者よ。
この世界の全て、〈観測者〉が記した全てを読み解ける〈教授〉よ。
作品名:貴方が望むなら[前編] 作家名:有秋