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貴方が望むなら[前編]

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堅牢な帝宮のさらに上部、一番奥まっている場所で少女は呼吸する。いつもの様に豪奢な椅子にふんぞり返る小柄な体躯が角度を変えた。
「来たか」
四方に存在する壁のうち、一つに設えられてる窓が開いていた。揺れるレースと重厚なカーテン。刺繍の施されたそれは一級品で。部屋に相応しい細工物。
その端がひらりひらりと揺れる様を楽しそうに少女は見つめる。
「出不精のお前を引っ張り出すのは大変だなぁ」
「出不精でもなく、引きこもってる君には負ける」
「うん? ああ、それは仕方ない!」
この身が国だ。国を傷つけるわけにはいかない。それはこの〈導師〉であろうとする魂が忌避する。
敢然と言い切った少女に、侵入者は微かに、吐息のようなはかなさで笑んだ。歪な笑いの近似値。
くすんだ髪と、黴の目が暗がりに溶け込むような配色で。
「ヨガタリがお前のことを探すらしい」
「…プロフェに私を探すの無理だ」
「そう言ったさ」
分かってる。それでもアレはお前を探す。それがアレの性でもある。
あっさりとした首肯に、言葉の継ぎ目を見失ったのかヒューマは所在無く当たりを見回し、椅子の真向かいの壁にもたれた。この部屋に来客を通すような家具はない。ここはあくまでも少女の私室であり、彼女一人が使うもので構成されている。
「茶でも飲むか」
「いいや、どうやら腹は満たされているらしい」
「ふん…なら勝手にやるぞ」
「お好きに」
気の置けない会話は誰も聞いていないからこその構築だった。
「まぁ、一応若いのをつけたからな……上手くいけば」
あの喪失は喪失のまま、世界は上手く回っていくだろう。
ヨドリとアカナキは、まだ互いを見失っていない。
「友」
「うん?」
「本当に世界が好きなんだな、君は」
「何を当たり前のことをいってるんだ。じゃなきゃカイなんてやってられないじゃないか」
手酌で冷たい、口当たりのよいお茶をついでいた少女は驚いた顔をして、目元に笑みを刻んだ。若干、自嘲がにじむ。
「ヒューマはカプリに夢中で、カプリはプロフェに夢中、そしてプロフェは他人を「自分ではない」という形でしか認識しない……どうやってもカイは一人だ」
お前たちの感情のベクトルは、常に三人で途切れていた。各自、この自分に好意を向けてくれるがそれは好意以上のものでなく。何も特別ではない。そんな好意、この宮にいる皇族からだって向けられる。
「カイはいつも独りだ」
〈導師〉たる己は、いつでも独りきりで。それでもそれを良しとしているのは、世界が好きで、世界に必要とされているのが嬉しいからに他ならない。
「ヒューマである私も似たようなものだ」
「馬鹿いってんじゃない、それは単に、カイの影響を受けているだけだ」
本当はもっと、お前は周りと和をもてるんだよ。お前がそれに気づいてカイの孤独という頚を理解して、踏んづけてしまえば。お前は独りじゃなくなる。プロフェ以外の者と話せるだろう。
「いい加減に甘えるのは止め」
そして気づけ。
〈観測者〉の意味に。
「容赦ないな…」
「お前に容赦してどうするんだ。可愛げのない」
「プロフェには甘い癖に」
「アレは、可愛いからな」
「……私とどう違うのか教えて欲しいくらいだ」
黴色の目を眇めて呆れる口調に、少女は悪戯っぽく笑い声をあげた。
「そうさな、みてくれはほぼ同じだ。ただしアレは反応が一々可愛いんだ。今のだったら無言で、なんでもないように自分もだます勢いで取り繕うだろうなっ」
「ようするに」
「虐めたいいじりたいもみくちゃにしてわしわしにして、笑わせたい」
「それは御免だ」
「安心しろ、お前にはしないよ」
お前はお前なりに可愛いから。可愛げはないけどなっ。
「うん、本当はお前が不憫なんだけどなぁ…」
「……それは」
「分かってるよ。お前はそう出来てしまってるんだ」
この模造の世界が作られた時に、鋼色の目をした者がお前に願ってしまったから。
「赤銅の模造はカイだ」
少女は自分の平らな胸を片手で押さえた。
「墨色の模造はプロフェ」
目の前にいない存在に対して。
「お前は鋼色の模造であるべきだった…」
「とうの鋼色がそれを拒否しただけだ」
「いいや、鋼色は願っただけだ」
立ち上がった少女が壁にもたれる男を見上げる。淡い桜色に染めた爪が伸びて、額に触れる。
「鋼色は赤銅と墨色を思い過ぎたんだ…自分も彼らのようになりたいと願った」
彼と彼が幸せになって欲しいと願った。幸せな彼らになりたいと願って、ヒューマが出来上がってしまった。
墨色と赤銅の混ざった髪。墨色と萌黄の混ざった目。
不協和音の鋳型にはまって作られた模造品。
濁ってしまったヒューマを補完するために新しく添えられたカプリ。濁りを打ち消す輝き、きらきら。華やかさ。
それは金属の質感を帯びてヒューマを照らすはずの光。
カプリがいない今、ヒューマは自分を隠せない。濁った存在のまま呼吸する。それは苦痛でないのだ。彼はそう作られたのだから。それは何も問題ではない。
ただ、今は、ひたすらに、〈星〉を堕とした〈教授〉が憎い。
自分の基がどうだったかなど知らない。基が赤銅と墨色の幸せを願ったとしても、自分までもがプロフェの幸せを願うつもりはない。
模造は模造で、それでも別物だ。似ているというだけで全てを同じくすることはないのだと、今になってヒューマは理解していた。
もし、今、目の前に墨色がいたのなら、模造のプロフェではないと理解しても、殴り殺していたかもしれない。そんな危惧すら抱く。

墨色の存在、それが二対の神の片割れであるヨドリだったとしても。





作品名:貴方が望むなら[前編] 作家名:有秋