天女の血
十兵衛は少し首をかしげる。
「そうか? 安達ヶ原の鬼はひとを食ってたんだろ?」
「それは謡曲だろう」
さらりと圭は指摘する。
そして、美鳥のほうを見た。
「安達原、という謡曲があるんだ。能の流派によっては、黒塚ともいう」
よくわからないと思っている美鳥の心を見抜いたように説明する。
「そのあらすじは、熊野の僧が巡礼中、奥州の安達ヶ原で雨が降り日が暮れてきたので、宿を求めた。そして、粗末な家を見つけて、そこに住む女に一晩泊めてもらえるよう頼む。僧が泊まることになり、女はたき火の材料を採りに山へ行くことにする。そして、女は家を出るまえに」
「自分のいないあいだに、寝所を見るなって、僧に言う」
十兵衛が話の続きを奪い取った。
ニヤリと笑う。
「だが、見るなって言われたら、よけい見たくなるよな?」
その口調は楽しげだ。
「ってことで、僧は女の留守中に寝所を見てしまうんだ。そしたら、なんとそこには!」
つい美鳥は真剣に聞いてしまう。
「死体が山のように積み重ねられていたんだよ。それを見た僧は、びっくり仰天して、逃げる。そのあとに家に帰ってきた女は僧を追い、鬼女となって襲いかかってくる」
「それで?」
「まあ、坊さんだからな、仏のご加護によって鬼女を退けたんだ」
話とはいえ、その結末にほっとする。
「それって本当のこと?」
「さァな。安達ヶ原の鬼婆伝説ってのがあって、謡曲はそれを元にしたもんだろうが、元のほうが本当かどうかわからねェ」
十兵衛の顔から笑みが消えた。
専門の知識を語る、真面目な表情。
「拾遺和歌集に、みちのくの安達の原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか、っていう平兼盛の和歌が載ってる。だが、鬼婆伝説があったからこそ、その和歌が作られたのか、その和歌を元にして鬼婆伝説ができたのか、わからねェぐらいなんだ」
「へえ」
それにしても博識だと感じる。
十兵衛の話についていける圭もそうだが。
「さっき明良が言ったように、俺たちが知っている鬼の一族の者が人を食らうという話は聞いたことがない」
圭が穏やかに話す。
「鬼の一族はひとつではなく、いくつかあるらしい。この国全体から見れば彼らはマイノリティだが、その人数は一桁や二桁ではないようだ。それだけの数の鬼にひとを食らう嗜好があれば」
「目立つな。今みてェに隠れた存在ではいられねェだろーな」
「ああ、俺もそう思う。行方不明になっても捜されない相手を選んだとしても、数が多ければ、バレるはずだ」