天女の血
話したいことではない。
本当は思い出したくもないこと。
心が揺れる。ためらう。
圭の眼を見ていられなくて、少し眼をそらした。
けれども、思い切って口を開く。
「家出して何日か過ぎて、夜道を歩いていたときに、何人だったかな、男にからまれた」
タチの悪そうな雰囲気を漂わせた男たちだった。
「あの頃は、まだ身体のコントロールがあまりできなくて、そのときは女の身体だった。だから、女だと思ったらしくて、しつこく誘ってきた」
女の身体でいるときに男から声をかけられるのは、よくあることだ。
どうやら男の眼を惹きつける容姿であるらしい。
あのときは男から声をかけられたくなくて人通りの少ない道を歩いていたのだが、それが悪い結果をもたらした。
「嫌だって断った。そうしたら、無理矢理どこかにつれていかれそうになった。そんなときに、助けが入った。たったひとりで、アイツらをあっというまに倒した」
それが当時は大学生だった豊原宜也である。
宜也は身体能力が非常に高いうえ、鍛えているので、鬼に変化しなくても強い。
特に訓練されているわけでもない数人の男が相手なら、楽に勝てるのだ。
しかし、助けに入ったのは、自分の強さを誇示したかったからではないだろう。
女が男たちにからまれて無理矢理にどこかにつれていかれようとしているのを、放っておけなかったのだろう。
宜也はそういう性格だ。
のちに明良にしたことだけは、その性格から考えるとありえないようなことである。
「助けてもらったから、お礼を言った。実際、感謝していたし」
真っ正面から宜也を見て、ありがとうございました、と伝えた。
助けられて本当に感謝していたから、微笑みかけた。
「でも、向こうは黙っていた。黙って、ただ、じっと見ていた。変だなって思った。そのとき、向こうの眼が、眼の色が変わって、赤く光った」
天女の末裔の一族がいるように、鬼の一族もいることは、聞いていた。
だが、それまで鬼の一族の者を見たことはなかった。
「びっくりして、どうしたらいいのかわからなくて、動けないでいたら、襲いかかってきた。それで、捕まえられて、気を失った」
それからしばらくの記憶はない。
「気がついたときには、部屋の中にいた。布団に寝かされていた。服が……、ほとんど脱がされていて、さっき助けてくれた相手がのしかかっていた」
意識を失っているあいだに豊原家につれてこられていたのだ。
あのときは、そこがどこかも知らなかった。
「相手がなにをするつもりなのか、わかった。もちろん、嫌で、そんなことされたくないから、嫌だって言った。でも、やめてくれなかった」
心が激しく揺れ動く。
ふだんは触れないようにしている記憶を引きずり出すのは、つらい。
横を向き、圭から顔を背けるようにして話を続ける。
「必死で抵抗した。逃げようとした。だけど、向こうの力はものすごく強くて、どうにもならなかった」
逃げようとして、すぐにつかまって、布団に抑えつけられた。
自分よりも大きくて力強い身体が迫ってきた。
「怖かった。家出したことを後悔した。怖くて、怖くて、圭の名前、呼んだ」
圭、助けて。
声が届くわけがないとわかっていながら、助けを求めた。
圭、圭、圭。
繰り返し、名前を呼んだ。
もちろん、その声は届かなかった。
届くことなく、助けが来ることなく、終わった。