天女の血
「それに、市川美鳥を竹沢に入れようとしたのは、竹沢の駒を増やすためだけではなく、それが美鳥にとって一番良いことだと考えたからだろう?」
結依に聞かれ、しかし、正樹は答えずにいる。
認めれば、鬼の一族の頭領としての貫禄を失うような気がした。
「春日家は我ら奥野と同じく女系だ。明良は天女の血に目覚めているのだから、現当主の三男ではなく長女だと考えるのが妥当だろう。女系の血は長男ではなく長女の明良へと流れ、そして、そのまた長女である美鳥に流れていく」
結依の顔から表情が消えていた。
冷静な声で話を続ける。
「受け継がれた天女の血が目覚めて、美鳥が歳を取らなくなったら、しばらくは問題ないだろうが、やがて、完全に護ってくれるところに行ったほうがよくなる」
見た目は十代前半、実年齢は正樹より少し年上の結依が、そのことに気づかないわけがなかった。
「では、どこに行けばいいか」
結依は問いかけた。
けれども、正樹の返事を待たずに、ふたたび口を開く。
「まず、豊原。美鳥は現当主の孫にあたる。申し出れば、引き受けてくれるだろうよ。だが、その際、美鳥は自分の出生について知ることになる」
知らずに済むのなら知らないままでいたほうが良い。
そう正樹が考えることだ。
そして、それは、この件だけではない。
「次に、春日。そちらも、申し出れば、引き受けるに違いない。だが、市川明良はそれを避けるだろう。家を出たのと同じ理由で」
やはり結依も知っているようだ。
春日家の闇。
「戦後の混乱の時期に、春日家は没落しそうになった。それを立て直したのが、明良の祖母の春日時子だ」
正樹が予想したとおりのことを、結依は話し始めた。
「どうやって、立て直したのか」
聞かなくても知っている。
だから、もう、いい。
そう止めたくなったが、正樹は口を閉ざしたままでいる。
結依の話を止めれば、また、甘いと言われそうだ。
「権力者や富豪の援助を受けたのだ。しかし、彼らはただ春日時子に同情して動いたわけではない。見返りがあった」
正樹を見すえている結依の大きな眼。
その瞳が鋭くなる。
「見返りは、天女の身体」
正樹の胸に苦いものが広がった。
しかし、それを顔には出さないようにする。
「春日時子は天女の血に目覚めていたから、たいへん美しく、そして、いくつになっても若々しかった。春日家に、というよりも、彼女に援助した者たちは皆、彼女に惚れこみ、自分だけのものにしたがり、他の支援者たちと競い合ったという」
さすがに結依はこれについては知らないだろうが、おそらく、天女の身体は一度抱けばおぼれるほどにいいのだろう。
そして、権力者も富豪も、我を忘れたように、彼女に執着したのだろう。
「だが、どれほど魅力があろうが、どれだけ惚れられていようが、春日時子のやったことは高級娼婦と同じだ」
結依は冷静な声で告げた。
そのあと、眼を伏せた。
長い睫毛が揺れた。
「……憐れだ」
少し間を置いてから、結依は声の調子を落として言った。
「春日時子には自分の身体を与える以外、方法がなかった。彼女は春日家を没落させるわけにはいかないと考えたのだろうよ。自分を完全に護ってくれるところが必要だからの」
その顔が横を向く。
正樹から背けられる。
「歳を取らない者が一般社会にいられぬことは、よくわかっておるわ」
結依は吐き捨てた。
激しい感情のにじむ声だった。