天女の血
「……このような話をするために来たのではないわ」
少しして、結依が顔を背けた。
だが、その眼はすぐにまた正樹へと向けられる。
無表情で、じっと正樹を見る。
「なぜ市川美鳥に会いに行った?」
探るような鋭い眼差しだ。
それを正樹は平然と受け止める。
「昨夜、豊原宜也から電話があった。市川美鳥のまえにあの吸血鬼が二度もあらわれたらしい。二度とも、市川美鳥を護る者がいて、大丈夫だったようだ。でも、あの吸血鬼は天女の血を好んでいるらしく、市川美鳥に執着しているそうだ。だから、なんとかしろと言われた」
「市川明良から相談されたのだろうな」
「そういうことだろうね」
豊原のほうでも、あの吸血鬼と竹沢とのつながりを知っている。
しかし、豊原は自分の一族のことに他の一族を介入させない代わりに、他の一族のことには立ち入ってこない。
この件は竹沢の問題。
そう認識し、一切、触れてこなかったのだ。
だが、豊原宜也は市川明良に弱い。
それに、だいたい、市川美鳥は自分の娘だ。
市川明良から美鳥があの吸血鬼に狙われていると相談されれば、豊原宜也は動かざるをえない。
「それで、市川美鳥と会ってどうした?」
「勧誘した。竹沢の庇護下に入らないかって」
「なぜそんなことを」
「あの吸血鬼が市川美鳥を狙っているのなら、おびきだすのにちょうどいいだろう?」
「おとりか」
「ああ。こちらとしては使える駒はひとつでも多いほうがいいからね」
「だが、市川美鳥を竹沢に入れれば、豊原は黙っていないだろう」
「それはどうかな」
正樹は軽く笑う。
「豊原が市川美鳥を一族の者と見なしているのなら、とっくの昔に市川明良のもとから連れ去っているさ」
市川明良が泣こうがわめこうが、だ。
あるいは、母娘ともども連れ去るか。
「一族の者と見なしていない者について、竹沢がどうしようが、文句を言われる筋合いはない」
強い口調になった。
正樹は結依の眼を見すえる。
「豊原は竹沢に喧嘩を売るようなことはしないだろう」
自信がある。
竹沢の頭領として。
「……ああ」
結依は眼をそらしはしなかったが、頭をわずかに退いた。
「力の竹沢にそんなバカな真似をする鬼はおらぬわ」
鬼の一族で、特に名が挙がるのは、三つ。
財の豊原、情報の奥野、そして、力の竹沢。
そう呼ばれるほどに、竹沢一族の鬼としての力は他の一族よりも強いのだ。