天女の血
「豊原宜也は明良が自分のもとから逃げだしてから、市川律子が交通事故死するまで、明良には会っていない」
結依がまた話し始めた。
「しかし、明良が産んだ子供が男であったら、そうはいかなかっただろうがな」
豊原は女系の奥野とは逆で、男系で、男にしか鬼の血は受け継がれない。
だから、もし明良の産んだ子が男であったら、母親の明良が泣こうがわめこうが、豊原宜也がではなく豊原一族がその子供を取りあげていただろう。
不幸中の幸いであったかどうかは、わからない。
生まれたのが娘であったので、今度は、天女の血が目覚める可能性が高くなった。
天女の血が目覚める条件の中に年齢があるのなら、明良がおそらく十八歳で目覚めているので、十七歳の美鳥はもうしばらくすれば成長が止まるはずだ。
「その会っていないあいだに、豊原宜也には良家の令嬢との見合い話があった。家柄、財産、本人の経歴や性格、いずれも財閥の嫡男の相手として申し分なく、豊原家は乗り気だったようだ。さらに、相手の令嬢も宜也を好もしく思っていたらしい。だが、結局は宜也が断って終わった」
さすが、奥野。
よく調べていると思う。
「市川律子が亡くなってから、豊原宜也は市川明良と会うようになった。明良にしてみれば、宜也が美鳥のまえに実の父としてあらわれてほしくない。美鳥に自分が強姦された末にできた子供だと知られたくないのだろう。だから、宜也の要求を呑むしかないのだろう」
月に一度か二度、明良は宜也と会っている。たぶん、宜也が指定したとおりにしているのだ。
そして、ふたりが会うようになったので、竹沢も奥野も、明良の存在を知ることになった。
「豊原宜也にしても、市川明良が望んでいないことは重々承知のうえだろう。しかし、通常ならば、そんなことをする男ではない」
結依は言い切った。
それについては同感である。
豊原宜也は嫌がる相手に関係を強要するような男ではない。
けれども。
それは、通常であれば、だ。
「だが、市川明良に関しては、どうしても、という気持ちが強いのだろう。会わなかった九年のあいだも、忘れることができなかったのだろう」
どうしても会いたい。
そう正樹がだれかに対して思ったことは、これまでない。
関係を持った相手は複数いるのだが、恋愛感情を抱いたことはなかった。
自分は短命であるはずなので、だれかに恋愛感情を抱くことなく生を終えることになるのかもしれない。
「我ら奥野の耳が聞いたのは、市川明良が豊原宜也をののしっている声だけではない。豊原宜也が市川明良を抱きしめて、愛をささやいているのも聞いた」
聞いたということは、それは外でのことだったということだろう。
「あの堅物が」
結依は軽く笑った。
「完全にくるわされている」
しかし、バカにしているようではなかった。