天女の血
「だが、まあ、あんなのを野放しにしておくわけにはいかねェけどな」
声音を落として、男は独り言のように言った。
その手が口に当てられる。
「つーか、アイツの正体が知りてえ」
なにかを深く考えているような表情だ。
やはり、顔立ちの良さを感じる。
「ねえ、とりあえず家で傷の手当てをしない?」
美鳥は提案した。
家には父がいるが、娘の命の恩人であると知れば歓迎してくれるだろう、たぶん。
男は美鳥を見る。
「こんなの、なめときゃ治る」
「治るわけないでしょ。それに、お礼もしたいし」
「だから、礼はいらねーって」
「私の家、ここなの」
すぐそばにある家を、美鳥は冷静な表情で指さした。
男の眼が美鳥のさしているほうに向けられる。
表札を見た。
「……アンタ、市川さん?」
「うん」
美鳥はうなずく。
「市川美鳥っていうの。美しい鳥と書いて、ミドリ」
「そうか」
吸血鬼から逃げるために、最初はただ闇雲に走っていた。
けれども、近所の道をよく知っている足は、いつのまにか自宅に向かっていたのだった。
「なら、まあ、茶の一杯でも飲ませてもらおうか」
「日本茶でもコーヒーでも紅茶でも、好きなものを言って。なんなら、お菓子付きで出すから」
自然に、家のほうへと歩きだす。
男も一緒だ。
こうして隣を歩いていると、男の背が高いことを意識する。
百八十センチはあるのではないだろうか。
「ねえ」
門をとおりすぎたとき、美鳥は呼びかけた。
「名前、なんていうの?」
やっと聞けたと思った。
一方。
「ああ?」
男の表情が微妙なものになる。
あまり触れられたくないような。
しかし、その口が開かれる。
「遠山十兵衛、だ」
美鳥のほうを見ずに、素っ気なく答えた。