崩壊世界ノ黙示録
「やけに恍惚としてるね。いや、俺もこの雰囲気は好きだけど」
隣にリコスを連れて居る事だけが若干の不満だったが、彼は彼でこの街の様子をとても楽しんでいるようなので、その存在には目を瞑ってやることにした。さすがにこの楽しそうな街中で騒動を起こしたくは無い。
「しかし……いや、色んな奴らが居るね」
「王国だもの。そりゃあ、色々な区画から人間が集まって来てるし、そのお陰で技術も発達してる。それに、一番旧文明時代の建造物が形を遺してるのがマルクトくらいだからじゃないかしら」
「成るほど、道理で色んな物がいちいち目を引くわけか……1日中見て回っても、到底回りきれそうに無いな」
秩序的に並べられた出店の商品を見つめては、リコスは意外そうに息を吐いている。その表情は嬉しそうでもあって、その瞬間だけはアシエが持つ彼への憎しみも消えていく気がして。
(――こうしてれば、普通の男の子なんだけどな)
そう思い、打ち消す。僅かながらの気恥ずかしさを振り払う為に大きな動作で左右に首を振った。何の感情を抱いている訳でもない相手に、こんな感覚に陥ってしまうなんて――と、微かに自嘲の笑みを浮かべた。
街に鳴り響く客引きの声を届けてくれる爽やかな風は、アシエの気分を明るいものにしていた。あんな息の詰まるベースに居るよりも、こうしていた方が気分は軽くなる。何故なのかは知らないが、これも感情というものの所為なのだろう、と少女は勝手ながらの憶測を信じることにした。
と同時に、ここ数日間、ろくな食事をしていなかったことを思い出す。或いは何も口に出来なかった日もある。
「どこか店にでも入りましょうか?ここ数日、誰かさんの所為で満足な栄養にもありつけなかったしね」
感じる空腹を紛らわそうと、アシエはわざと皮肉っぽく笑みを浮かべた。食事不足の原因を作ったのは彼だから。
だが実際、今の状況をそこまで悪いとも思っていなかったので、さっきまでの笑みと違って、それは比較的明るいものだった。
そんないつもと違う少女の笑みに驚いたのか、リコスは「ぷっ」と笑いを吐き出した。それから慌ててアシエの顔色を見、怒っていないことを確認する。
「別に怒ってないわよ。実際、今のあなたはそこまでムカつかないわ。……いつもそんなで居てくれればいいのに」
「怒ると思ったんだけど。俺も、いつも君がそんなならもう少し君の事、好きになってもいいんだけどね」
「……減らず口」
そんな口を叩きながらも、アシエは微笑を浮かべた。
「へぇ、君でもそんな笑みを浮かべることもあるんだね。そうしていると唯の美人さんだ」
「口説いてるの?」
「今の君のままならそれもいいかもしれない」
「冗談、こっちからお断り」
「酷いなぁ」
「あなたもね」
そんな惚気なのか、そうでないのかわからない会話を交わしつつも、賑やかな表通りを順調に歩いていく。途中途中、王国機関の制服を着ているアシエに好奇の視線を向けてくる者達も居たが、それという問題も無く――店へ向かう途中でリコスが「君を食べたい」などと言い出した故、笑顔で顔面を殴打しておいたという事件は無かったことにして――ごく普通に2人は店への道を辿った。
「いやぁ、美味しそうだ」
リコスは注文したメニューであるハンバーグなるものが机に届けられると、立ち上がる香り付きの湯気を吸い込んでそう言った。言う割りに、リコスは一切それを口に運ぼうとしないが。
「食べれば?」と言って相手の食を促しながらも、アシエもまた自分の注文したスープを啜った。経費削減の為なのか、食材の質はあまり良くなかったが、それでも不味くは無い味だった。
「ねぇ、そう言えば黙示録ってさ、何処から発掘されたのさ?」
彼の珍しい疑問に、少女は口内のスープを喉奥へと流し込みながらも、質問の答えを脳内の書庫から引っ張り出した。
「ん?確か、旧文明の名所だって呼ばれてた建物の残骸とかから、断片的に見つかっていったらしいけど。結構周りの陸地同士が近いから、見付かると真っ先に解析環境の整った此処に情報が来るのよね。確か、核爆発の振動で『プレート』っていう地球の表面板みたいなのが移動して、それぞれの大陸同士が近くなった……っていう話だけど」
頭の中に残る曖昧な記憶を辿り、情報と情報を繋ぎ合わせて言葉にしていく。その過程を辿るたび、「あ、そうだっけ」という事実もまた発覚していくのだが、大概はどうでもいい情報ばかりだったので直ぐに忘れてしまった。
「まぁ、そもそも黙示録を暗号化した意味がわからないんだけどね。本当に世界から結晶放射を消したいんなら、そんな二度手間な事しなくて良いのに」
「……あのさ、希望の無い世界っていうものがどういうものなのか、君には分かるかい?」
突然青年の纏う雰囲気が変わった。その事に少なからず驚きを覚えつつも、アシエは「何?」と問い直す。
それからリコスは暫しの間、考え込むようにして首を垂れていたが――やがて何か決心をしたように、重々しく口を開いた。
「――絶望しかない。こんな結晶放射が満ちた世界で、俺たちは生活している。だけど、それも無期限に保障されているものではないだろう?実際、最近の人間は結晶放射に対する耐性が著しく低下してきているし……何時かは滅びを迎える事になるのは間違いない。だけどさ、今の俺たちには『黙示録の解明』という目標が設定されているようなもんだ。だからこそ毎日生きることを頑張れるし、それを諦める事だって絶対にしない。……でもさ、もしもその目標が無ければどうなる?救われる希望も無い世界で、俺たちはこんなにも秩序を守って生きてこられたか?少なくとも俺はそう思わない」
リコスは、語り終えると短い溜息を吐き出した。徐々に暗いオーラが払われていき、いつもの飄々とした胡散臭さが戻ってくる。
――正直、彼がそこまで考えているとは予想外だった。
リコスが語ってくれる絶望は、それを味わったものにしか分からない様な、暗澹たる檻を孕んでいる。実際アシエ自身もそれを味わったからこそ、それを汲み取る事が出来たのだろう。
絶望しかない世界。希望という彩りも無い世界で、滅びだけを待つような世界――それを聞いただけでも、一体その世界がどんな光景に成り果てているかは想像に固くなく、また思い半ばに過ぎる。
「……中々いい憶測だと思う」
散々悩んだ挙句、口に出来た言葉はそれだけだった。他に何も口に出来る言葉など、見つかりはしなかったのだ。
それが果たして何故なのか、それはよく分からなかった。
だが、
「褒められるのは嫌いじゃないよ。君になら尚更だ」
暗い雰囲気を取り払うべくか、リコスは威勢良く皮肉を口にした。もしかするとそれは、彼なりの気遣いだったのかもしれない。
「褒めてないわよ……ただ、ちょっとだけ……――ううん、なんでもない。それより、機関からの呼び出しが無い内にさっさと買い物に戻りましょ」
言葉を諦めて椅子から立ち上がったアシエは、懐から適当な数の硬貨を取り出し、その中から必要な要求額だけをテーブルに置いた。リコスは彼で、硬貨を取り出して同じ様にテーブルに置く。