崩壊世界ノ黙示録
どうやらパルトは、有り得ないほどに捻じ曲がった誤解をしているらしい。というより、彼女だからそんな誤解をした、と言うべきか。
当然、アシエは持ちうる限りの言葉を使い、それを全力で否定しようとしたのだが。次の瞬間、リコスが発した驚愕の台詞に、吐き出そうとしたその言葉は止まってしまった。
「おっと、ばれちゃ仕方ないかな。実際そういう感じだよ、えっと……」
「んな……っ!」
否、止まったのは言葉だけではない。意識、思考、動作、思わず顔を紅潮させ、アシエは全ての動きを止めた。
そんな表情変化を運悪く見ていたらしいパルトは、どうやら本格的に誤解という名の道を歩み始めたらしい――それもこれも、劣悪なるリコスの言葉によって。
「あぁ、ごめん!自己紹介まだだったね。私はパルト。気軽になんとでも呼んで!じゃ、よろしく!……それよりアシエったら、すっかり照れちゃって……焼け木杭の嬉しさの余りだよ!だから気を落とさないで!」
「気遣いありがとう、パルト。そうだといいんだけどね」
「っ……ぁ?……ちょ」
ここで最悪だったのは、言葉を見つけられなかった故にリコスの発言を取り消すことが出来なかった、ということである。赤面して固まる少女を見れば、誰でもそういう夢見がちな女の子、だと取る他無いだろう。
「俺の名前はリコス。今日からこの隊に雇われた、まぁ元軍人みたいなもの。よろしく」
「あぁ、成る程!それでそんな格好してるのね」
「変かな?あぁ、俺は一応色々と学んできたし、手伝えることも結構多いと思うから、どんどん頼ってくれていいよ」
「え?本当?あ、じゃあさ!後で≪黙示録≫の開錠解析手伝ってくれない?出来る?」
「わかった、勿論機械のなんとやらは得意だ」
結局アシエは、パルトとリコスの会話に全く口を挟むことも出来ず、結果的に黙視していただけという形になってしまった。おまけに、いつの間にかリコスは間違いだらけの自己紹介を済ませ、「善人」という本質とは全く正反対の人柄を巧みな口頭で植え付けていたのだ。
これ以上最悪の展開は無い、本当に無い、と繰り返し胸中で嘆いたが、当然それが何かの幸運に繋がることも無く。めでたいことに、『リコスの幼馴染』という称号は既にアシエのものとなってしまっていた。
ここまで誤解が進んでしまうと、その事実を撤回するのには相当な時間と言葉が必要だろう。少なくとも、一朝一夕に弁解できる事でないのは確かだ。
「あぁ、もう……やだ」
余りの気恥ずかしさと後悔、憎しみの念に駆られた少女は、護謨手袋をしたままだったその小さな両手で顔面を覆った。普段、必要最低限な感情表現しか行わない彼女にとって、この行動がさらなる仇となることも知らずに。
「アシエがここまで感情を見せるなんて、リコスが相当好かれてる証拠だね!焼け野のきぎす、夜の鶴って言う奴だよ、きっと」
――ここでアシエは涙を零しそうになった。色々な意味で。
「ははは、旧人類の言い回しだね。知ってるかい?アシエ」
あまつさえ、そんな恥辱を曝け出している自分に笑みを向けているのは、災厄の元凶であるリコスであるのだから、こればかりは本当に『馬鹿!』と叫んでやりたくなった。だがそれを言ってしまうと、パルトの恋愛概念においてはもう後戻り出来ない領域にまで行ってしまう気がしたので、喉元で留めておく程度に終わらせたが。
そんな多々の感情に右往左往されている気をどうにか持ち直し、アシエは赤面したままの顔でリコスの胸倉を勢いよく引っつかむと、部屋の外へと駆け出した。不幸中の幸いにも、その様子が微笑ましい光景だと思ってくれ、部屋を出るまでの数秒間、此方に稚い笑みだけを送ってくれていたパルトに感謝する。
同時に、謝罪した。――『設定上』の幼馴染は今日から顔を会わせることが出来なくなるかもしれない、と。
「おっと、危ないよ」
部屋からリコスを連れ出し、扉を勢いよく閉じるなりアシエは上段蹴りを彼に見舞っていた。とはいっても、それは彼の肉厚なアーミーナイフによって防がれている為、体にすら到達していないのだが。
殺すつもりは無かったものの、数ヶ月の間昏倒状態にしてやろうと思っての蹴りだった。だから受け止められたのは大きな誤算だったし、彼の反応能力に単純に驚きもした。
「……やだなぁ、小隊長。今俺を半殺しにしようと思って攻撃してきただろう」
その声や、向けられた睥睨には強い怒りの色が滲んでいて、酷く威圧的なものだった。ただのお調子者であるチンピラ風情なら、黙って逃げ出しそうな程である。
だが生憎、アシエは気が強い方だった。その威圧感を前にし、怯むどころか負けじと怒りを露にして怒鳴りつけてやる。
「さっきのは何!調子に乗ると、その頭も胴体から2分裂することになるわよ!」
「いやね、小隊長。怒るのはいいんだけど、そんな顔を真っ赤したまま怒られると恐くも無いんだよ。寧ろ可愛いくらいにね」
言葉が終わると同時に見舞ったはずの拳は、いつの間にか見事に壁を殴打している。リコスの顔面に向けて放ったはずなのだが、どうやら彼は平然とした顔でそれを回避していたらしい。
どうやらそれなりにいい反射神経を持っているようだ。正し、一体、何処で身に付けたのかは疑問ではある。
「あ、あの設定は何!?私があなたの幼馴染ですって?」
「だって、あの場で俺が恥を掻かない為には、小隊長を犠牲にするしかなかったじゃないか。ほら、何かから逃れる為には、その代わりとなる贄が必要なんだよ。だから別に男性経験の無い君を嘲笑うとかそういった念は込めてないさ。それに、本当に僕でいいなら設定を現実にしてあげてもいいんだよ?」
『男性経験が無い』。アシエの胸は、この一言で一気に刺し貫かれた。
「う、五月蝿いわね!」
「俺の前では感情を見せるんだ」
「〜〜ッ!」
上手く言葉を見つけ、こちらの弱みに付け入るような口頭を用いる青年に、少女は口唇を震わせ、声にならない唸りで抗議した。
それだけ自分も意外だったのだ。こんな出会ったばかりの他人――しかも異性に、嫌悪や怒りといった感情だけだとしても、自分を曝け出せているのが。
……と。
「ねぇ、アシエとリコス。ちょっと足りない部品があるんだけど、買出しに行って来てくれない?」
突然として2人の喧嘩に水を差したのは、閉めた筈の扉からこちらを除き見ていたパルトだった。
2
王国都市マルクトは、今日も活気という名の希望に満ち溢れていた。
頭上には広遠たる壮大な青空が広がり、その中に疎らな白い雲が混じりあい、絶妙な色合いのコントラストを生み出している。
空から差してくる眩い光は、かつてこの世界を焼き払った核兵器の炎と同じような色をしているのだろう。だが、今この世界を生きる新人類にとってその悲劇は遠い昔のことであり、境界線の向こうと化していた。
廃墟の建物を利用して造られた店からは売り子の声が飛び、通りを歩く者達の雑踏に消えていく。その活気の良さは、本当にここが結晶放射に汚染された世界であることを忘れる程の光景で、
「やっぱり街はいいわね」
思わずアシエは、雑踏に混じりながらも大きく息を吐いていた。嘆息ではなく、感嘆の息を。