崩壊世界ノ黙示録
――ハルマゲドン後のこの星、≪セフィロト≫は10つの陸地だけで構成されるようになっていた。小さな島こそ大海の中央に浮かんではいるが、いずれも人が住めるような環境では無い。
一つ一つの陸には名称が付けられており、陸間を行き来するのには過去に架けられたという≪オーラルブリッジ≫を使用する。道幅も広く、余り愚者も出てこないが、距離が長く区画によっては一週間の旅をもれなく楽しむこととなる。
その中でもアシエ達が所属している≪機関≫、と呼ばれる組織の基地が設置されているのは、第8区画≪マルクト≫だった。現在のセフィロト全土の指揮を執る、最大の大陸だ。規模も他とは段違いで、他の区で見られるような荒廃地区や廃墟群生区といった、愚者の生息地域が一切無い。区画は丸ごと1つが巨大な街で、食料や工具の流通、生産、或いは結晶器の研究が盛んに行われている都市。その光景はまさに王国と呼んでも大仰ではないだろう。
そんな立派な区画が自分の故郷なのだと思うと、アシエはなんだか誇らしかった。街の賑やかな喧騒を思い出すとジッとしているのは苦痛になって、窓を開けて半身乗り出すと、前方に広がる景色を凝視する。ここからなら、もしかするとマルクトが見えるかもしれないと思ったのだ。
しかし見えるのはただ漆黒の帳だけで、明かりの1つも見えはしない。
するとバックミラーでアシエが顔を出したのが分かったのか、
「心配しなくてもあと2日くらいで見えて来るよ。何せ殆ど真っ平らなんだからね。旧人類が居た頃は、滅茶苦茶に建物が並んでたっていうけど本当かな?」
リコスが子供と接するかのような、甘い口調で話しかけてきた。
「その喋り方、これ以上ないくらいに気持ち悪いわね。不快だからその口を閉じてくれる?」
依然窓から半身乗り出したまま、アシエは苛立つ気持ちを吐きだした。
「だって、君があんな幼い顔をする事もあるんもんなんだって。旧人類が持ってたっていうカメラなるものがあったら、それを収めときたかったくらいに可愛かったよ?いろんな意味で」
――――その一言は、アシエとしても呆れるしかなかった。いろんな意味で。
藍色の闇に濡れた廃墟群を抜けた車体は、何時の間にやら第7区と第8区を繋ぐ巨大な橋へとさしかかっていた。
第2章/襲撃……
1
この世界の王とされる新人類が居を構える区画、正式名称≪第8区画マルクト≫。およそ400年も前から街の発展が始まり、≪王国≫と呼ばれるほどの勢力を付けた後も、徐々にではあるが勢力の拡大が行われていっている、比較的栄えた区画だ。
区の中心に聳えた≪ベース≫は、≪黙示録≫――旧暦の人類が残した、セフィロト粛正を成す為の方法が記録されているといわれる小型記録媒体――の錠を解除するために組まれた機関の本拠地であり、一般市民権しか持っていない賢者には入ることが出来ない建物だ。機関の隊員登録証、若しくは通行許可書を持っていなければ入ることは出来ない上、仕様上そのどちらもが結局は試験で入手する他無かった為、外部の人間に容易く乗っ取られたり、ということは決して無い強固なセキュリティを誇っている。
機関の内部構造は、様々な分野への人員が配置。小隊長以上の各々が、それぞれの隊を形成して指揮、回ってきた任務に当たる……というのが基本であり、それが毎日のように行われている。
それは例えば愚者の討伐依頼であったり、何かの護衛の仕事であったり、その殆どが危険なことに携わることとなる実地任務。実質≪黙示録≫の解明に当たっているのは、優秀な頭脳を備えている解析部署だけだった。とはいえ、最近ではそちらも手付かずで困り果てているようだったが。
さらに、このベース内部には様々な施設がある。
戦闘に関する訓練室に食堂。果ては大浴場や売店など無駄なものまで色とりどりの取り揃えだ。
訓練施設は設備が揃っている上、費用は必要としない。娯楽施設はどれも安価で済む上にバリエーションも豊富なので、生活に事欠けることは一切無い。
勿論のこと、ここで生活する人間の為に、それぞれ質素ながらも自室は用意されている。だが、それも副隊長以上の立場で無いと個室は与えられない為、一般は所謂「雑魚寝部屋」に4人ずつほど置かれることになっていた。それを不満に思うか、寧ろ寂しさを感じないから良いと考えるかは、その仲間の良し悪しにもよるだろう。
――そんな巨大規模を誇った機関のベース内部、それぞれの場所へと通じる大筋の廊下を、1人は苛立たしげに踏みながら。1人は一喜一憂しながら。歩く2人が居た。
「いや、結構ドキドキハラハラとしたいい旅路だったね」
その内一喜一憂を繰り返していた青年リコスは、至福の思い出でも語るように口を開いていた。
彼の隣には、美麗な顔の額に常時皺を畳んでいるアシエが居た。不機嫌さは歩調、目つき、何よりその皺を見れば誰でもわかるようで、先程からアシエの通る先に居る賢者達は、自然と道を空けてくれている程だ。
普段単独でしか行動しないアシエが、ましてや規定の制服を着ていない者と共に歩いている事による、好奇の視線を一身に浴びながらも彼女は苛立たしげに吐き棄てた。
「いい旅路?それをそう思えるなら、あなたの脳はよほど手遅れみたいね」
少女がそう言うや否や、そんな剣呑とした言葉など意味が無い、と言った様子で、リコスが下手糞な笑みを浮かべて喉を動かす。
「そう?俺はそもそもこの世界が嫌いだから、あんな事があると寧ろ楽しいんだけどな。ま、愚者も大嫌いだけどね」
「矛盾よ、矛盾。第一、あなたが本当に嫌ってるものって何なの?此処に帰ってくるまでの間、あなた全部の事柄に『嫌いだけど』って付け加えてきたじゃない。私はそんなあなたが大嫌いだけど」
実際、此処に帰って来れるまでの5日間――結局、色々な邪魔が入りすぎてそれだけ掛かってしまった――の旅中で、幾度リコスに殺意が芽生えたことかはもう覚えても居なかった。彼の運転ミスで愚者の群れに包囲された時など、本当に海の藻屑にしてやろうとすら思った程である。
だが、そんな言葉にもリコスは偽善とした笑みを崩さないでいた。一体どうすればこの男からあの偽善を取り払えるのだろうか。
「全部言葉の通りだよ。俺は愚者が嫌いだし、それと同じくらいにロクでもない君が嫌いだ。第一、この世界においての森羅万象が大嫌いでね」
それを聞いて、アシエはこの青年とはつくづくロクな会話が出来ない、と頭を抱えるではなく。心の内で悪態を吐いた。
(――いつか殺す)
少女の僅かながらの表情変化を読み取ったのか、リコスがにへらっとした笑いを若干歪める。だがこの歪みは真実のものでない、と直ぐにわかった。同時に、いつか絶対に歪ませてやる、と決意を固める。
「今、物騒なこと考えてただろう?」
「いえ、一切。あなたをいつか殺してあげようなんて、そんなこと思いもしないわ」
「……物騒な世の中だね。これだから、俺は全部大嫌いになるんだよ」
「……私もあなたを指揮下に入れるなんて、嫌で嫌で仕方ないわよ」
言いながら、アシエは奥歯を砕けるかというほどの強さで噛み締めた。先刻受けた命令がそれほどに不満だったからだ。