崩壊世界ノ黙示録
駄目もとで胸元の設定機を指先で弄り、周波数を補助役へと合わせて通信を開始する。先刻から連続で浴びせられる途轍もない熱気や瓦礫の応酬に、とても使い物にはならないと踏んでいたが――。
『……エ!アシエ!無事なの!?』
どうやら幸いにも、通信機は故障していないようだった。
「なんとかね。でも、これ以上戦闘を続けても、果ては変わりないと思うわ……そっちの状況、機関長の判断は?」
『分からない……機関長、やろうとしていることはあるみたいだけど……とにかくこっちは大丈夫。基地に乗り込んできた愚者は1匹残らず殲滅、死傷者は無い。現在はこの事態の原因について究明しているわ』
「何か……もしかして、今基地全体の冷房・暖房設備が停止してたりする?」
この絶対的不利な状況下で、機関長が下す判断。例えば兵器による砲撃も、陸戦部隊による戦闘も意味が無い状況で発動する兵装。アシエには思い当たる所があった。
『え?う、うん。冷房設備だけじゃなく、さっきから砲撃自体も止まってるみたいだけど』
パルトの言葉に、アシエは天を仰いだ。視界いっぱいに映るのは竜の巨体ばかりだが、稀に合間から除く空には、先刻までひっきりなしに飛び交っていたはずの砲撃が存在しない。確かに基地からの攻撃は静止されているようだった。
そして、状況から確信する。これは――。
「まさか……《グレイプニル》を使う気!?」
『ぐ、グレイプニル……?何それ』
「機関が機関長命令で作っていた、新装備よ!とんでもない電力を消費するが故に、1度発射すれば基地全体の機能が失われる危険性を伴う……って、倫理会では使用を禁止されているの。発射準備は、冷房やその他機能の停止。それから、発射段階に入れば――」
その瞬間、突如として通信が切断される。遥か遠方に聳える基地に視線を移動させると、普段なら稼動している筈のサーチライトが止まっていた。
グレイプニルは発射段階に入れば、基地全体とその周辺の電力供給を全て打ち切らせる。否、1つの場所――グレイプニルの稼動コア部分へと集中させるのだ。それ故に、基地の内部は今蛍光灯1本の明りすら灯っては居ないだろう。
「嘘でしょ……まだ部隊が残ってるって言うのに!」
全機能を停止させてまで発射するグレイプニルの破壊力は、決して伊達ではない。以前聞いた話によれば、戦争時『対区画用』の兵装という銘で秘密裏に建造されたという。
つまりこの兵装は、敵の区画に直接打ち込めば壊滅的ダメージを与える程の威力を持っているということだった。それをこのマルクトで発射すれば、当然壊滅的被害は避けられないだろう。
況してや、地上で戦っている部隊など。
「アシエ!何が起こってる!?」
どうやって竜の攻撃を避けて来たのか、何メートルか先の瓦礫からその声は発せられた。間違いなくあの青年、リコス・ヴェイユのものだ。
「……機関側が、対区画用兵装を使おうとしてる。多分、発射まであと10分も無いわ……残ってる陸戦部隊を連れて、出来る限り此処から離れないと!」
「対区画用だって!?冗談じゃない、エニスは俺たちを消す気か!?通信だって入ってないんだぞ!?」
珍しく焦りを滲ませた声音で、リコスは吼えるように相手の存在しない抗議の声を上げた。誰にも届くことの無いその講義は、竜の雄叫びに残響すら許されずに消え去る。
尤も、彼の言うとおりだった。まだグレイプニルを使用すると確定している訳ではないが、パルトから得た状況からして十中八九間違いは無い。そしてもしそれが竜に着弾した場合――。
「ここからそう遠くない場所に、核シェルターが残っていた筈よ。……リコス、あなた機械弄りが趣味とかパルトに言ってたけど、あれ本当なの?」
以前リコスがパルトと面会した時に、彼が言っていた事を思い出してアシエは質問を投げた。
「?あ、ああ……まぁ、大体の事は出来るけど。どうするつもりなんだ?」
「あなたの通信機の周波数を、機関長のものに合わせて。通信で出来る限り時間を稼いで欲しいの。私はその間に、バンドを使って他の部隊への避難呼びかけをするわ。それと、シェルターの位置を転送する」
言いながら、アシエは軍服の胸元に貼り付けられた機関の紋章を指先で弄る。するといつかの様に、紋章が紫色の閃光を放った。閃光は一筋の光となり、それは空中で糸が絵を描くように折り合って行き、宙に小さなモニターを編み出す。
宙に浮かぶホログラフィックモニターを指先でなぞり、表示される文字の羅列を押しつぶすようにしてタッチしていく。その度モニターには光の波紋が広がり、消えていってはまた広がる。
そして最終的にアシエが開いたのは、この『第8区画マルクト』の地図だった。
「全く、人使いが荒いね。まぁやってはみるけど。そんなに稼げるとは思えないよ」
「それでもいいわ。1秒でも多くの時間を稼いで。……あった、ここね」
暗号の如く並んだ文字列と折り重なる通路の表示から、『shelter』の一単語だけを探し出し、アシエはそれを弾くように軽く小突いた。同時に画面が切り替わり、詳細情報だけが表示される。その画面の右下に存在する『readress』という文字列も同じように弾くと、今度は複数の入力バーが出現した。
「zxzcl50……xzag80……」
打ち間違えないように、言葉にしながらホログラフィックの鍵を叩く。過去から今までの経験値を蓄えている指先が駆動し、鍵盤の上を縦横無尽に奔る。だが目は手元など見てすら居ない。何の教養も無い一般人が入力すれば1時間では足りない文字列を、アシエはその10倍以上の速さでやってのけていた。
機関の部隊には、それぞれ別々の周波数が用意されている。その為、一気に通信を行うことは通常不可能なのだが、あるコードを入力して認識させてやれば、どんな通信機であろうとそれが可能になる。
《エマージェンシーコード》と呼称されるそのコードは、途轍もない長さを誇っている為、暗記するのには相当な時間が掛かると言われていた。だがアシエは、どんな事態にも備えて訓練を積んで来た。コードの暗記も、その訓練の一環に過ぎなかったのだ。
「c-6789……finish.……よし行けぇっ!」
僅か2分程度の間にそれを打ち終えたアシエは、シェルターの地図を転送すると同時に通信機の電源を入れなおした。エマージェンシーコードを使用している通信機の向こう側からは、戸惑いを隠せない複数の声が聞こえてくる。これこそが打ち込みに成功した証だった。
「現在、竜の近辺で戦闘を続行している部隊は聞いてください。これは、エマージェンシーコードを使った緊急通信です。こちらは王国機関第56号小隊隊長、アシエ・ランス――機関は現在、全機能を停止させて『対区画用』の装備を使おうと試みています。もしもこれが着弾すれば、我々陸戦部隊の多くが犠牲になるでしょう。繰り返します。これはエマージェンシーコードを使用した緊急通信です。竜愚者の近辺で戦闘を続行している隊は直ちにシェルターへ避難して下さい」
突然、電波に以上が生じる。音声が乱れ、通信機の向こうから響いてくる音声が唯の雑音一色に染まる。機械の不具合かとも思ったが、