崩壊世界ノ黙示録
「駄目だアシエ!通信機がぶっ壊れた!」
同時に2つの通信機が故障することは考えられない。ということはつまり、何らかの理由でこの街に飛び交う周波が乱れ、通信が不可能になったということだ。
そして、その理由は明らかだった。
「グレイプニルの発射段階が移行した……!」
――フェイズ2。周囲に磁場領域を発生させて電周波を完全に使えなくする、発射段階の2段目。そして、これから発射までに駆けての時間など、無いに等しい物だった。
「リコス、時間が無いわ。私の合図でここから出る、いいわね!」
「そんなこと言ったって、シェルターにあと5分でたどり着ける部隊がどれだけ居ると思う!俺たちだって、たどり着けるのか!」
リコスの言葉に、アシエは唇を噛んだ。確かに、グレイプニルの起動は思ったよりずっと早く進んでいる。このままでは、発射までにシェルター内に辿り着ける部隊は本の一握りだけだ。
けれど、シェルターに入らずとも或いは。
「……!そもそも、着弾自体を避けられれば……!」
「着弾自体を避けるって……アシエ、そんなことをすれば、竜の方はどうするのさ!」
「でも、やるしか無いじゃない!このまま犠牲を出しちゃ駄目なの!人が行き着く破壊の答えが、犠牲の上に成り立つものじゃあ!」
――竜を倒し、犠牲を出すか。犠牲を出してでも、竜を倒す方法を模索すべきなのか。それこそ二者択一の選択だった。あまつさえ、成功するとは限らない選択肢も含まれている。
アシエは考えた。思考回路を熱暴走寸前まで追い込むが如く、火の粉が降り注ぐ竜の支配下で。恐怖すら忘れ、唯思考だけに全てを捧ぐ。
幾多にある分岐路、数ある選択。そのどれもが正しいとは限らない思考の中で、成すべき道を見つけることなど不可能といっても過言ではないだろう。だが、もう賽は投げられているのだ。ゆっくりと絶望に浸っている時間など無い。必然の沈黙だった。
が――、
「――1つだけ、古代の知恵を授けるよ」
その沈黙は彼の、リコスのたった一言だけで取り払われた。
「何それ。時間が無いの、分かってる?」
「分かってるさ。だからこそ、今から俺が言うことを一言一句聞き逃しちゃいけない。……いいかい、幾ら堅固であろうが竜にも弱点は存在する。喉元下腹部、たった1枚の鱗――逆鱗と呼ばれるこれだけは、ぎりぎり結晶器でも打ちぬける硬度しか持っていない。しかも、そこから真っ直ぐ弾丸が進んでくれれば、先には奴の心臓が位置しているんだ。もしピンポイントで逆鱗を狙い打てたら、もしかすると勝機はあるかもしれない。あれさえ討伐できれば、機関もグレイプニルを止める筈だ」
「逆鱗……?普通の鱗とは、どう違うの?」
「これが難しくてね。普通じゃ見分けが付かない。でも、違いはある……色だ。まるで金箔を捺したように、逆鱗だけは少しだけ金色に輝いているんだよ。いいかい、上までは俺が投げるし、受け止めるのも俺がやる。信じてくれ」
「ちょ、そんな投げるなんて……出来るわけ無いじゃない!上まで一体何メートルあると思って……――ッ!」
突如、アシエが隠れ蓑にしていた瓦礫が途轍もない勢いで吹き飛ばされる。破片と砂煙が混同した熱風を真正面から準備もなしに受け、アシエの体は数メートル後ろまで吹き飛ばされた。
「げほっ!はぁっ……!もう……何よ」
せき込みながらにも顔を上げると、竜の深紅眼がアシエを捉えていた。鋭利な牙が生え整った口元が震え、空気を劈くような咆哮を上げる。空気自体が震えている感覚を、アシエは生まれて始めて味わっていた。
そして同時に、最早躊躇っている場合では無いと悟る。このまま逃げているだけでは、どちらにせよ運命は死に向かうしか無い。
「どうやら、やるしか無くなったみたいだね」
その考えはリコスも同じようだった。最早隠れていても無駄と悟ったのか、瓦礫から抜け出て、倒れているアシエの隣に立つ。
差し出された手を躊躇い無く取ると、アシエは立ち上がって竜を睥睨した。愚者と眼が合うと、幼いころによく親と睨めっこした事を思い出し、僅かながらに気持ちの揺れが落ち着きを取り戻す。焦る気持ちをどうにか冷却しようと深呼吸すると、灰だらけの空気が喉に飛び込んできて、思わずアシエは咽返った。
「投げられなかったら、承知しないから」
リコスは、両手を差し出していた。差し出された手の平は、人1人を上空100メートルまで投げられるとはとても思えないほど小さい。
だが彼は笑みを浮かべると、ゆっくりと頷いた。
――信じるしかない。馬鹿げている話であろうと、選択の余地が無いなら――。
迷いを振るきるが如く、アシエは地を蹴った。僅かの間宙を舞い、リコスの手の平へ全体重を集めた足裏を接地させる。軍靴で踏めば圧し折れてしまうのではないかと思っていたその細腕は、だが微かに揺らぐことすらもしない安定感を誇っていた。
「うおおおおっ!」
リコスが雄叫びと共に、少女を空高く打ち上げる。信じられないほどの力で投げ飛ばされたアシエは、熱風舞い踊る中を弾丸の如く突っ切って飛翔していく。目も開けていられない風の抵抗の中でも、どうにか結晶器を持ち構える。
狙いなど、とても定まりそうに無かった。激しく吹き荒れる風の抵抗と、凄まじい飛翔速度の中でなど。
それでも、既に高度は竜の腹部を越えて喉元にさしかかろうとしていた。暴風に髪が乱れ、汗が飛散し、それでも尚結晶器を構え続ける。必死に眼を動かして鱗の1枚1枚と睨み合い、逆鱗を見つけようと視線を彷徨わせる。
そして――遂にアシエは、紅蓮の鱗に混じって金色の光を反射する、特異な鱗を見つけた。咄嗟に照門と照星を真っ直ぐに結んだ照準線の先に、逆鱗を捉える。常に揺れ動く視界の中で、たった1枚の鱗を狙うのはどれだけ高位なスナイパーといえども不可能と断言しかねない。
だがアシエは、引き金を引いた。一発でも外せばチャンスは無い。確実に当てる、という信念を持って、唯一心に引き金を引いた。
発砲した瞬間、世界が上下逆転する。地に足を着けていない今では、銃の反動は何倍にも跳ね上がる。気が付けばアシエの体は逆さまになり、地に向けて落下しようとしていた。
弾道の行方は分からない。果たしてあの結晶弾丸が逆鱗を貫き、心臓部まで達したのか。それともただ空を切り、的外れの場所に当たってしまったのか。
巨大だった竜の立ち姿が、急に揺らめいた。同時に何処かから途轍もない爆音が轟き、天地をも吹き飛ばすような風を乗せて宙を激昂する。破滅を孕んだ払暁のような回路は、正しく神の桎梏そのものだった。
「ふぎゃっ」
背中からリコスの素っ頓狂な声が聞こえて、朦朧とする意識の中でアシエは其方に眼を出来る限り動かした。気がつけば周囲の景色は既に動いてはおらず、代わりに瓦礫の山が溢れているばかりだ。
どうやら無事に落下出来たらしい。
「……アシエ、体重何キロ?」
再び背中から、今度は苦しそうな彼の声が聞こえる。
「……失礼じゃないの?そういうのってさ」
「あー、そうだね、うん。失礼だ、だから退いてくれ痛い痛い痛いあぁぁぁ」
今自分が『誰』の上に居て、どういう状況なのか――アシエは、理解こそしていた。