崩壊世界ノ黙示録
どれだけ敵が掛かってこようと、恐るべき判断能力で、表情すら動かすことなくアシエはただ、宿命だと言わんばかりに結晶器のトリガーを引き続ける。弾倉に充填してある結晶放射を凝縮させて弾丸として発射し、風よりも早い攻撃で射抜く。近付いてきた敵には、容赦なく得意の格闘術を叩き込んで崩していた。
屍になって転がっている物、殺意を持ってこちらに攻撃してくる物。合計数10程。本来愚者は同じ種族であっても群れを作ることは無いのだが、この時期――繁殖期を迎えると、愚者達は互いに群れを組み、その中で繁殖相手を探す。
今相手にしているのは、毛むくじゃらの全身に、鋭く研ぎ澄まされた長い爪。原型的には、『イヌ科』といった感じの相貌。所々に進化前の名残が残ってはいるものの、大きさといい声といい、やはり過去のものとは何もかもが違う。名称は正確に定められていない。
「これで……終わり」
やや無機的に呟くと、最後に残っていた比較的小さな愚者の眉間を、結晶器で打ち抜いた。その容赦無き攻撃に、断末魔を上げる間も無く愚者はその場で絶命する。
今や彼女の周りに転がっているのは、色鮮やかな真っ赤な体液の絨毯と、屍の山だけと化していた。今になって血生臭い悪臭が意識に影響を及ぼし始め、気分が悪くなったアシエは、踵を返してその場から早々に歩き出す。
それから暫し距離を置いて、先程から切断していた通信機に手を伸ばした。同時に雑音が鳴り、同じくパルトの声が――唯一違っていたとするなら、パルトの声色が怒りに満ちていたということだったが――鼓膜を揺らし始める。
『ちょっとアシエ!いきなり回線切断って何!?』
金切り声で講義を上げるパルトに、やや無気力な声でアシエは応えた。
「ごめん、ちょっと立て込んでたの。任務の対象は殲滅完了、これから帰るね」
『いや、まぁ無事ならいいんだけど……そっちの状況がわからないと、こっちだって心配なのよ?……そうだ、あの時だって!』
まだ何か言葉を紡ごうとした少女の声を、アシエが無理矢理に遮る形で言葉を割り込ませる。
「いちいち触れないで。これから帰るって言ったでしょ、美味しいご飯でも作ってて……とは言っても、放射能に汚染されてちゃいい食材なんて滅多と手に入るもんじゃ無いでしょうけど」
『了解。でも、帰るまでが任務だからね!油断してたら駄目だよ!』
「はいはい、旧人類の言い回しは聞き飽きたわよ」
言って、通信を切断する。頭上に広がる景色を見やると、そこには藍色の闇がただあるのみだった。
夜の訪れだった。昔は太陽が死んでしまったのではないかと思って、大泣きしたものだ。今でも一瞬冷やりとすることすらある。本当に太陽が死んでしまったらどうしようかな、と。
誰だってこんな闇の中を長時間歩き回るのは御免だ。此処に来るのに利用した二輪バイクを近辺に駐車していて良かった――安堵の息を吐きつつも、アシエは帰路を辿ろうとした。
が、
「逃げんなぁぁぁぁッ!」
誰かの叫び声と共に世界が揺れて、アシエの足は自然と止まった。突然目の前に土煙が発生し、見る見るうちにその範囲を拡大させていく。
細かい砂埃が口や目に入らぬよう、片腕で顔面を覆う。ここまでの衝撃を起こせる物は一体何なのか、考えて幾つかの憶測を思索の海から見出す。
大砲か、或いは爆弾か?少なくともあれだけの破壊力だ、結晶器を使っての芸当ではあるまい。
そうは思ったのだが、数秒の後に目の前に転がっていたものを見て――アシエは思わず呟くこととなった。
「なに……これ?」
薄緑の羽、ざらざらとした甲殻に覆われた巨躯。備え付けられた巨大な鎌は、捉えたものを一瞬で両断出来ると思うほどに鋭利である。凶暴と有名名高い愚者の一種であるこの蟷螂愚者は、普段ならば畏怖を抱くほどの対象だった。
……だがしかし、もうその巨躯が動く事は無いだろう。永久に。
「――これだから俺は世界を大嫌いなんだよ」
「なっ!」
突然耳元で声がして、アシエは思わず後ろへ大きく跳び退った。気配すら感じなかった為に、少し無理な体勢での着地となってしまったが。
そこで改めてアシエは男の姿を視認した。慎重は自分よりも少し高いくらい、この闇に溶けてしまいそうな漆黒のロングコートに身を包み、髪も同じく漆黒の色をしている。男の表情にはやや欺瞞染みた笑みが張り付いており、印象的には優男のようではあったが、明らかに堅気の人間とは違うオーラを纏っていた。
だがどうやら、先刻空気を割るように響いてきたあの叫びの主とは違う男のようだ。声といい雰囲気といい、判断材料は山ほどあった。
「おや、驚かせたかな。悪いね」
男はこちらに歩み寄ってくるなり、いきなり手を差し出した。
「俺はリコス・ヴェイユだ。ちょっと色々あって追われてるんだけど――悪魔にね。いや、魔人って言うか……まぁ、とりあえずは君を迎えにきた白馬の王子様だとでも思ってくれれば良いよ、宜しく。あんなのがいるから世界は平和にならないんだ」
「私を迎えに……って、あなた一体何処の星から来たの?出会い頭に自己紹介を始めるわ、意味の分からないことを言い出すわ、『常識』って知ってる?」
アシエは迷わず差し出されたその手を払いのけた。いきなり見知らぬ男に握手を求められても、それに応じる義務は無い。というより、普通は疑って掛かるのが『常識』である。
しかし目の前の男――どちらかといえば青年だったが――は、その『常識』という概念においてを丸ごと欠落させているらしい。良く言っても『常識知らず』、悪く言うなら『変態』だった。
「やだなぁ、心外だ。俺はれっきとした≪機関≫からの使者だよ?ほら、この通り証明出来るもんだって持ってるし」
青年、リコスはそう言うと、大袈裟に両手を広げて胸の辺りに付けているバッジの存在を主張した。成程、確かに≪王国機関≫が使用しているバッジであり、アシエの胸元にも付いているものと同じではある。
「……証拠はあるけど、それが誰かから奪ったものでないっていう保証はある?」
「これでどうかな?」
リコスが一呼吸すると、胸に付けたバッジが紫色の閃光を放った。閃光は一筋の光となり、それは空中で糸が絵を描くように折り合って行き、宙に小さなモニターを編み出す。≪王国機関≫が独自に持つ技術を使用した、主に人物確認に用いられる特殊な結晶器の1つだ。
宙に浮いた光のモニターと睨めっこしながら、アシエはそれを音読した。
「リコス・エデン……王国機関、第1小隊所属……!」
そこまで読めば充分だった。ここに記載されている『第1小隊』とは、他ならぬアシエ・ランスが小隊長を務める小隊なのだ。大規模隊でも無いので、隊員の顔名前は全て記憶している。
だが、この様な人間は存在しない。近頃入隊した、という報告も受けていない。
「どうやって編集したの?」少女は落ち着いてはいるが、冷め切った口調で結晶器を突きつけた。「生憎だけど、この第1小隊は私の隊なの。だから預かり知らぬところで誰かが入隊する、なんてことは絶対有り得ない。だから私はあなたを信用しない、了解?」