崩壊世界ノ黙示録
「っ。リコス、時間が無いみたいだから急いで。あなたの装備は階上に保管されてるわ、ティラ、彼を案内してあげて」
アシエは、その揺れが足元を襲った瞬間から纏う雰囲気を一変させた。舌を打ち、これ以上話すのも億劫だと言わんばかりの早口で旨を伝えると、さっさと何処かへ去っていく。その後には先刻従えていた何人かの部下らしき者達も続き、最後に残されたのはあの大男とリコス、ただ2人だけとなっていた。
一体何が起こっているのか分からず、リコスは肩を竦めて首を傾げる。大男はそれを見て面倒臭そうに頭を掻くと、
「まぁ、あれだ。いきなり愚者の群れがこのマルクトを襲撃してきたんだよ。それも、知能が高くて面倒な愚者ばっかりだ。だからこそ、機関も総動員で戦場に駆り出されてる。ったく、折角の休暇だったってのに、面倒なことしてくれるよなぁ」
「……休暇返上で働く覚悟も無いのに、よく機関に居られるね。でもまぁ、この事件が起きる要因に心当たりが無いわけでもない」
「へぇ。と、言うと?」
「黄金の夜明け団は細胞変化によって進化した独自の生命体だ。俺も一度独力捜査を進めた事があるけど、その時に邪魔になった存在が居てね……そいつは女なんだけど、異常に高い知能を誇ってる。それに加えて、人に近いかそれ以上の知能を持つ愚者に、命令を下すことが出来る能力も持ち合わせてるんだよ。同一周波を愚者に信号として飛ばし、思考を感化させて操作する――そう、≪操術≫っていうのを使いこなしてる奴がね」
バツが悪そうにリコスが顔を歪めて説明すると、ティラは感心したように手を打った。『なるほど、それでか』と1人で納得し、大らかな笑みを浮かべる。
それで本当に分かったのか、それとも何となく分かったのか。それさえも分からない彼の表情や態度に、青年は呆れの息を吐き出した。
「まぁ、いいよ。……で、急ぐんじゃなかったっけ?」
「おお、そうだそうだ。じゃあ案内するからよ、迷子になんなよー」
大男が堂々と廊下の真ん中を歩く姿を呆れた目で睨みつつも、リコスは彼の歩幅に合わせて歩き出した。
5
『小隊は各個で応戦、愚者を駆逐せよ。市民の避難を最優先事項に設定する。私からは以上だ、健闘を祈る』
通信機からノイズ交じりに聞こえてくる機関長エニスの命令を思考回路に焼き付けながらも、アシエは火の海と化した街中を駆け抜ける。悄然とした街に広がる紅蓮の業火は、見る見るうちに酷くなっているように思われた。
「こちら第56号小隊隊長、アシエ・ランス。パルト・ネール、どうぞ」
胸に携えられた機関紋章裏のボタンを弄り、回路を命令から補助へ変更すると、少女は焦燥溢れる声で応答を求めた。すると直ぐに通信機越しから少女の声が聞こえ始め、徐々に鮮明さを増していく。
『……こちらパルト。其処から北東へ200メートル先、分断された第41号小隊の生存者が戦闘中。北西3キロ先には竜が居るわ、飛び火に気をつけて。どうぞ』
先刻から、第56号小隊の全員――否、恐らくこの街にいる全員だろうか――には、我が物顔で街を破壊しつくす『竜』の姿が目に映っていた。
遠方から確認できる大きさだけでも、優に50メートル以上はあると思われる巨体が暴れ回るたび、付近の地面に地震のような衝撃が奔る。稀に吐く火炎放射が風に乗って街中にばら撒かれる所為で、街の中は地獄絵図と化していた。
「了解、小隊救援へ回る。詳細をリコスとティラにも音声で転送してあげて。以上、情報有り難う」
『了解、健闘を祈るわね』
考えるまでも無く、自分たちがするべき事は見えていた。普通ならば、この騒ぎの主であるあの竜愚者を討伐・援護に回るのだろうが、生憎小隊規模の人員に於いて出来ることと言えばごく限られた事でしかない。援護すら碌なものは期待出来ないだろう。
ともなれば、倫理性・確実性と合理性・安全性が勝る『救援』に向かうのが妥当な判断だ、とアシエは判断を下していた。
通信機のノイズがぷつりと途切れる折、奇怪な金属音が空気に流れる。次に人影が幾つか見え始め、それとぶつかり合う対抗軍の姿も視認出来るようになってくると、アシエは即座に銃のスライドを動かし、弾倉から溜め込んだ結晶放射の弾丸を装填した。この作業さえ終えてしまえば、モデルがオートマチックの結晶器は、その結晶残量が尽きるまで何時まででも半自動に打ち続けることが可能となる。
「全員、戦闘体勢!」
部下へ号令をかけると、アシエは走る速度を倍近くまで引き上げた。熱を帯びた空気が頬を掠め、蒼き長髪を乱雑に揺らしてかき上げる。
愚者の反応は、いちいち鋭敏だ。第56号小隊が彼らの視界に入った瞬間から、愚者は既にターゲットを変更していた。交戦中の41号小隊の面々を無視し、まるで列を成すかのように猛進してくる。
あの病院に徘徊していたのと同じ種類の愚者――グラゴネイルだった。
「面倒な相手ね……皆、出来る限り銃は使わないで!」
グラゴネイルの皮膚は、硬質の鱗に覆われている。通常支給される結晶器の兵装では、この鱗の甲殻を突き破ってダメージを与えることは不可能に近い。
だが、アシエの持っている.45口径の結晶器による攻撃ならば、グラゴネイルの硬質な鱗とは言えど貫通することが出来る。実際、アシエは任務で他の区画に赴いた際、彼らを相手にしたことがあった。
――と、その瞬間。
「自分だけ拳銃を使うのは卑怯じゃないかな。小隊長?」
発射主不明の一撃が1匹のグラゴネイルを射抜く。鮮血を散らし、青鱗を貫かれたグラゴネイルが地面に伏せるのと同じくして、アシエはその射手が居るであろう方向を振り返った。
「な、リコス!あなた何で!」
「やあ」
何時から其処に居たのか、積もった瓦礫の山の上には、彼――リコス・ヴェイユの姿があった。右手に持ったリボルバーの銃口からは白煙が上がり、たった今使用されたことを主張している。どうやら病院の中に保管されていた結晶器と衣装は無事に取り戻せたようだ。
「ティラはちょっと足止めを喰らっててね。どうにも、こっちまで来れそうに無い」
「はぁ?ちょ、それどういう……」
「急いだほうがいい。メンダークスよりも先に、グラゴネイルに喰われる事になりたくなければね」
もう1度、彼の手に握られたリボルバーが弾丸を放つ。発射された白輝の閃光はアシエの視界から一瞬で外れ、間もなく後方から愚者の断末魔が上がった。
「……そうみたいね」
戦闘は、さらに激しさを増していた。どうやら戦況は機関側が一方的に不利なようで、一列に並んでいたはずの前線が徐々に押されつつある。もしも結晶器が使えるならば、独力押し返すことも可能なのだろうが、生憎それは不可能な話だ。
「俺が前線に出る。このまま押し切られると、民間人の避難先にまで被害が拡大する恐れが出てくる」
リコスは両手2丁の拳銃をそれぞれ左右のアンクルホルスターにしまい込むと、今度は上着の両ポケットに手を突っ込んで大振りのバタフライナイフを取り出した。瓦礫の山を蹴ると、左手のナイフは切っ先を前に、右手のナイフは逆手持ちに、それぞれ左右対称の構えで愚者の群れに突っ込む。降り注ぐ火の粉と熱風の壁を突き破り、滑空状態に入った。