崩壊世界ノ黙示録
「貴方達が何者かは知らないけど……もしも敵対するっていうなら、容赦はしないわ」
飽く迄も、アシエは気を強く持って背後の敵を睥睨した。不気味な襤褸切れから覗く、漆黒の空間には酷い虚無感が漂っている。
こんな不気味な存在と戦って勝てるかどうかは微妙なところではあったが、かといって引くわけにも行かない。少女は、恐怖に慄く足を叱咤し、徐々に距離を図り始めていたのだが――
「悪いけど、この娘だけは逃がしてくれないかな」
――それは、意外にも彼の声によって制止することとなった。
「な……リコス!貴方、何言って……」
「いいから。俺から頼む、アシエだけは見逃してやってくれ。……後は、2人一緒に遊んでやるからさ」
そう言うリコスの瞳には、強烈な敵対の炎が滾っていた。
だが、言葉だけには真の重みがある。覚悟と勇気、否、懇願。彼は真に自分を逃がそうと、彼らに懇願しているのだ。
「ちょっと、止めて!私にだって戦う勇気くらい――」
「――勇気とか、そういうのは違う。この戦いにおいて最も重要なのは、『強さ』なんだ。君が弱いとは言わないけど、今は黙って逃げてくれないか?」
戦うつもりだった意思を、だがそう言い咎められて、アシエは言葉に詰まった。
「で、でも……私は……私だって……」
リコスは、最も必要なのは『強さ』だと言った。そして、『黙って逃げろ』とも。
きっと、彼が今信じているのは自らの力のみなのだ。だが、それは力に酔っている訳ではなく――冷静に判断を下した結果、『アシエ・ランスは使い物にならない』という結果が出ているのだろう。
その結果は、アシエにとって不満以外の何も齎しはしなかった。例え弱いとは言わない、と補足されていたとしても、それは直訳すれば、『弱い』と言われているのと同じなのだ。
「私は……私は……」
握った結晶器が、体の震えと呼応してカタカタと音を立てる。心を移す鏡のように、それは怒りを孕んだ分身のように。
何故、会ったばかりの得体も知れない人間に、自分を否定されなければならないのか?弱いとまで罵られ、黙っているわけにはいかない。
それは、アシエ・ランスという気高い少女の名において、絶対に許せないことであったが故に。
「弱く無いッ!」
アシエは、随想のままに結晶器のトリガーを速連射した。ろくに狙いも定まっていない状態で打ち出された弾丸は、だが敵の回避の前には無力だった。
上に、下に、左右にブレ続ける弾丸の嵐を、敵は全く無駄の無い俊敏な動きで次々にかわしていく。まるで、こちらの攻撃全てを最初から見切っているような動きに、ようやくアシエはこの行為が『無駄』だということを理解した。
――無駄だ。今指を動かすのに使った脳も、結晶放射の残量も、筋肉も、そして怒りの感情でさえも。全てが徒労に過ぎないのだ。
「何やってるんだ!アシエ!」
響くリコスの声。気が付くと、既に弾丸は枯れていた。チャージしておいた結集放射の残量が、既に発射に要求される量を下回ってしまっている。元々大型経口に改造されたオート・ピストルの結晶器は燃費が悪いのにも関わらず、乱射すれば僅か数秒で燃料が切れる事は自分が一番良く分かっていたはずなのに。
「しまっ――」
気付いた時には遅かった。先ほどまで冷静に回避を繰り返していた敵は――何時の間にか、銀色のボディにぽっかりと空いた、漆黒の覗く銃口を向けている。既にトリガーには指が掛けられている為、発射には1秒と掛からない筈だった。
死――恐れてきたものが、今目の前に迫っている。
あれだけ恐れてきた死も、直ぐ傍まで這い寄ると不思議に恐怖は感じなかった。ただ、このまま死ぬのか、という漠然とした思いだけが脳を支配する。
敵の弾丸は空を貫き、容易く体を貫通していく。それが額なのか、或いは心臓なのかは不明だったが。
「アシエッ!」
遠巻きに、リコスの叫びが鼓膜を打った。だがそれも遠い世界での出来事。アシエ・ランスという少女は死んだ――目を閉じ、僅か1秒後に訪れるであろう死を少女は待った。
そして、乾いた空気に、爆ぜるような銃声が鳴り響いた。死の訪れを告げる、軽快な音が。
途端、途轍もない衝撃が襲った。声を上げる暇すらなく、地面に背中を打ち付けられて、アシエは思わず咳き込む。
きっと、銃弾が急所をずれたのだろう。狙うならもっと的確に狙えばいいものを――と、少女は思わず文句でも言ってやろうと目を開ける。
「……?」
が、目を開けたはずなのに、飛び込んできた色は『漆黒』の一色だけだった。何の色彩も無い、ただの黒。
しかしそれが暗闇ではなく、リコスの背だと気付いたのは――数瞬の間を置き、彼の背中から大量の血があふれ出した途端だった。
「リコ……ス……――ッ!」
視認するのと同時に崩れてきたその体を、咄嗟に飛び起きてアシエは宙で抱きかかえるように受け止める。リコスの漆黒の髪がふわりと一瞬だけ揺れ、彼は口から少量の血を吐き出した。
元々得意だったことが幸いしたのか、この時の状況把握に時間はそう掛からなかった。凄まじい速度で脳の思考が駆動し、一瞬一瞬の情景を紡いでいく。
そして、導き出された答えは――余りにも酷い答えだった。一瞬で血の気が引いていくのを如実に感じながらも、アシエは抱えたリコスの傷口に手を当てた。傷が貫通しているためか、それでも止め処なくあふれ出す真紅の液体は流れ続けている。
――彼は守ったのだ。アシエを死と言う現実から、自己犠牲を出すことによって。
先刻感じた衝撃は、貫通した結晶放射の弾丸に当たらない位置まで体勢を落とさせるために、リコスがアシエを突き飛ばしたことによるもの。
そして結果、彼は重度の致命傷を負ってしまった。結晶放射で生成された濃度の高い弾丸は、傷口から体内器官を腐食していくという付加効果を持つ。傷の位置からして当たったのは胃の辺りだろうか。つまり、今そこから腐食が始まっているという事だ。
身体構造の都合上、決して早いとは言えない速度での進行だろうが――丸1日放置しておけば、簡単に死に至ってしまうだろう。否、その前に出血多量で命を落とすだろうか。
いずれにせよ、このままの状態では存命の余地など無きに等しい。
「何……やってるんだい?小隊長さん……駄目じゃない……か、ぼーっとしちゃ」
鮮血に塗れ、震える口唇は弱々しい言葉しか紡ぎ出しはしない。しかしそれでも、リコスはたどたどしい、震える手で自分の手を差し出してきた。
「ごめん……なさい……私……!」
アシエは、その手を握ることしか出来なかった。謝りたくとも、言葉での謝罪など所詮は軽いものなのだ。簡単に許しを乞える筈も無い。
その間、敵の2人は始終を見守っていた。まるで動かず、人形のように暗闇の顔を此方に向け、傍観していたが――暫しの沈黙が場を支配すると、さっさと何処かへと消えてしまった。恐らく、彼らはリコスだけを狙いに来た暗殺者のようなものだろうし、この傷を致命傷と判断したならば、最早此処に用は無いと言ったところなのだろう。
「っ……はは、惨めなところを見せてるね、俺」