彼女を幸せに
裏切られたと、足元から崩れ落ちた。お母さんは、としきりに尋ねてくる娘によっぽどこっちが訊きたいくらいだった。授乳が終わったとて、母親の役目までお役御免になったわけではない。都和子にはこの先ずっとこの子の傍に、自分の傍にいてもらわなければ困る。死ぬまで寄り添い合って「家庭」をまっとうしてもらわなければ困る。
世間体や体面からではない。都和子を幸福の空気の中にいさせてやりたかった。これは馬鹿馬鹿しいエゴかもしれない。彼女のことを捕まえておきたいだけなのかもしれない。けれども自分勝手でもよかった。都和子に、安定を捧げながら生きていたかったのだ。
そんなことを考えながら彼女を探し続け、十五年が経った。実家にも当然いなければ手がかりもまったくなく、まだ籍も入ったままだ。もしかしたらどこかで死んでいるかもしれない。手ひどい失敗をして男に打ち捨てられて、野垂れ死んだのかもしれない。
冷たくなった都和子を両腕に抱えている。時おり、そんな夢を見た。
「お父さん、邪魔ぁ」
頭の上から明るい声がして、肩を大きく跳ねさせた。娘の優子は声も顔も、年々母親そっくりになっていく。ほかの誰かの遺伝子など混じっていないと思わされるほど、優子は都和子に生き写しだった。ただ、以前彼女がまとっていた厳しさはなく、名前の通り優子はどこまでも優しい。それが妙に、痛ましいようだった。
優子を見ると「受胎告知」を思い出す。母親以外の血を受けていない命。ほかの遺伝子の介入を許さず、なにか神聖なものと組み合わさってできている身体だ。だからこんなにも都和子に似ている。そう、結論付けたくなる。
台所に繋がる通路に座り込み、塞いでいたのに優子の言葉で気付きのっそりと立ち上がる。すれ違いざま、その小さな頭を肘で小突いた。
「おまえなあ、高校生にもなって風呂上りにバスタオル一枚でふらふらするんじゃないよ。みっともない」
「あと目のやり場に困るんだっけ? 今さらだなあ。お父さん私の裸なんかいっぱい見てるでしょ」
「子どものころの話だろ。そういう問題じゃない、これは」
優子を自分の子だと思ったことは一度もない。都和子の子。その事実だけが、頭を抱えるほどに重たい。