メリッサに愛を
まるで大嫌いなニンジンを無理矢理食べさせられている子どもの様な調子のミリーがのろのろとリゾットを食べ終えるのを待って、カーターは秘策の箱を開けた。
「街で一番人気の店で買ってきた。これならきっと気に入ると思って、」
「いりません」
ぴしゃり、即座に叩きつけられた否定はなかなか痛い。言葉に顔面ビンタされたかの様な打撃が胸に響いた。ミリーはもしかしたらこんな小細工なんて見透かしているのかもしれない。
「私、流動食しか食べられないんです。喉が詰まるので」
ミリーは歪なものが張り出した細い首をさする。ミリーの首には右手側に拳程の大きさの機械が付いているが、よく見てみるとそれは外から付いているものではなく、首の中に入っているものが入りきらずに飛び出ているのだということがわかる。
「その機械は……?」
カーターの口から、思わず疑問が零れ落ちた。落としてしまってから、はっとする。尋問をした時、この話題に触れた途端にミリーの態度が変わった事が一瞬の間に頭から消えていた。
「いや、答えなくていい。食事の事は少し考えればわかる事だった。申し訳ない。夕飯はもっと考慮して用意する」
墓穴を掘る前に早く退散するに限る。
「声を変えるための機械です。言代機に無くてはならないものの、一つです」
ケーキの箱を閉じようとしていたところで、ミリーのすっぱりとした答えが返ってきた。
カーターが顔を上げると、ミリーは晴れやかな顔でいる。
「遅かれ早かれ言わなければならないことですから。クリームだけ戴いてもいいですか?」
ミリーはリゾットを食べるのに使った大きなスプーンを手に、ケーキの箱を引き寄せる。カーターが箱を離すと、ミリーは嬉しそうにケーキのクリームをすくい取っては口に運んだ。
「魔術師団って、何をしているんですか?」
ケーキに乗っていたデコレーション用の小さな板型チョコレートを咥内で転がしながら、ミリーがカーターを見る。
「あの島、メリッサに行く前は少し耳にした事位しかないので、よく知らないんです」
確かに出来たばかりの頃はあまり有名でなかったと聞いたことがある。しかしカーターの知る限り、それは随分昔だ。カーターが生まれて物心つく頃には魔術師の存在は大きく、その母体組織である魔術師団は有名だった。
「魔術師の知り合いもいませんでしたし。あなたも魔術師なんですよね?」
そうなんですか。頷くミリーに深い思慮は感じられない。気になるから聞いてみた、位の気持ちなのだろう。
「魔術師団は、更なる魔術の活用と開発を目指す魔術師の集まりだ。でも魔術師なら誰でも入れるとは限らなくて、優秀な魔術師のみが選ばれる。最近じゃ魔術師団に入るのが目的で魔術師になろうとする人もいるらしい」
国で指名される魔導士になれなかった魔術師が立ちあげたのが始まりと言われている。
ミリーがクリームを舐め切ったところで、カーターは立ちあがった。リゾットの器と空の箱、空の袋を手にドアに向かう。その前にふと、思いついてローブのポケットを漁った。確か前に貰ったものがあった筈だ。
「これ、いろいろ話してくれたお礼に」
包み紙に包まれた、小さな飴玉をテーブルに放った。こん、音を立てて着地したのをつまんで、ミリーは顔を綻ばせる。
「ケーキ、ありがとうございました。甘いのなんて本当に久しぶりで」
立ちあがったミリーの身体が、ぐらつきよろける。ミリーがテーブルに腕を伸ばしたのも届かない。カーターは持っていたものを放り出して華奢な身体を受け止めた。
ミリーの顔色は真っ青で、意識も無い。横にしておいて治る状態だとは思えなかった。毛布で出来るだけミリーの首を隠して、すぐに折れそうな身体を抱え医務室へ走った。
明らかに部外者の女性を見て怪しむ医者にセピアの名前を出して口止めをし、カーターは上司を探した。これはただでは済まないかもしれない。
四階から一階まで探し歩いた末、三階の執務室から夫と一緒に出てきたセピアと会った。見るからに頭の良さそうな男は魔術師団始まって以来の切れ者で、妻であるセピアの前以外では無愛想だった。魔術師団次期団長の最有力候補である。
「何かあった、カーター?」
セピアが人を心配するのを、カーターは見たことが無い。心配に見える時はその裏に全く逆の意思が働いている。上司の顔が今は邪魔をするなと言いたいのを無視して、カーターは例の件で、と出来る限り思わせぶりに言った。
「何かあったの?」
セピアは途端にミリーを相手にしていたのと同じ顔になる。名残惜しそうに夫を追い払い、執務室のドアに手を掛けた。
「食事の後倒れました。今医務室で点滴を」
「倒れた?病気か何か?」
訝しげに聞き返し、セピアは廊下を歩いていく。カーターは面喰ってその後を追った。
「どこへ、」
「医務室よ。この目で確認したい。で、病気なの、あの子は?」
何一つ自分の目を通さずに上に報告する事が無い。セピアが信頼しているのは夫だけなのではないかと、カーターは常々思っていた。
「いえ。医者によると栄養失調だと」
「栄養失調?毎食欠かさず食べていたんでしょう?」
「それが、この三日間リゾットしか食べていません。本人が毎食希望したので」
「ああ、大好物のリゾット。変ね、今までよりはましな食事だと思っていたんだけど」
確かに。メリッサが墜落してから十年間、ミリーは何を食べていたのだろう。
話している間に階段を下り、二階のフロアに出る。平の団員が日頃仕事をする部屋がぎっしり詰まった階は人が多い。近々行われる式典に少なからず協力するらしい――遺跡調査責任者の副官であるカーターには関係の無い大きな仕事のせいで騒がしいフロアを抜け、階の端にある医務室へ向かう。
「それが、喉が詰まるから流動食しか食べられないらしくて」
「あの機械ね・・・。他にあれについて聞き出せた事は?」
セピアが医務室の前で足を止めた。カーターは一瞬迷ったが、
「ありません。それだけです」
口からは嘘が出ていた。
そう。セピアは軽く頷いて医務室のドアを開ける。
医務室には白いつい立とベッドが並んでいた。入ってすぐに一人、白衣を着た医者が座っている。
「さっき、彼が連れてきた子に関する件の責任者よ。倒れたそうだけど、原因は何なのかしら」
セピアと医者が話している間につい立の隙間からミリーの様子を窺うと、まだ意識は戻っていなかった。メリッサで気を失ってから意識が戻るまでに時間がかかったから、今回もそうなのかもしれない。
「――意識が戻るまでどのくらいかかる?」
「頭も打っていませんし、ただの栄養失調ですからそろそろだと思いますよ」
医者の言うとおり、ミリーがわずかに身じろぎする。ゆっくり開いた眼が二、三度瞬きをし、宙をさ迷って、カーターの目と合った。一拍置いてミリーの眼がはっとする。
「隊長、意識が」
ミリーが眼を逸らすまでカーターには目を逸らせなかった。ミリーは天井を見、点滴台を見、カーターを見るまでここがメリッサではないと気付かなかった。目が合った時にミリーの眼に映っていたもの――驚き――を見るに、彼女は未だ信じられない思いでいるのだと、目を逸らして見なかった事にすることなどできなかった。