メリッサに愛を
ミリーには知られたくなかった。
「……そうですか」
「行こう。追っ手が来るかもしれない」
ミリーの息が整ったのを確認して、歩き出す。周囲を窺っても追っ手はいない。諦めたのか見失ったのか。不意に手に触れた温かな感触にぎょっとする。手を握るのは、小さくて華奢なミリーの手だ。
建物の一角が轟音と共に震えた。
魔術師団支部が間近に見える建物の屋上に男の姿がある。若くはないが未だ中年というには若過ぎる男。その傍らには長い髪を一つに纏めた女性。魔導士の証である、下品な紅いローブに身を包み、隣の男を睨んでいる。
二人を前にしたセピアは深く溜息をついた。
「これはどういう事なの、イオレ」
セピアは妹の弟子と友好な関係を築けていると思っていた。所属する組織など関係なく付き合ってきたつもりだったが、今後もそうしていこうとは思えない。
魔導士の女性、イオレは肩を竦める。
「私が知りたい事は、多分セピアさんと同じ。この人はどうだか知らないけど」
理由は同じでも手段が違っただけの事。そんな事はいくらでもあるが、イオレの様には割り切れない。彼女は自分の影響力と時と場合を考えるべきだ。
一方男はイオレの言葉も気にせず、セピアに背を向けたまま、何が楽しいのか地上を眺め続けている。その男に、
「医者は?知ってるんでしょう」
「サツキさんなら去年亡くなったけど。どうしてサツキさんを探すの?」
聞くものの、答えるのはイオレだった。カーターの話では知らないと言っていたが、大した二枚舌だ。
「……メリッサで生き残りを見つけたのよ。その子が、その医者に診て もらっていたらしいから。あなた達は何か聞いていないのかしら?」
「知らないね」
即答したのは男のほうだった。男は何か言いたげなイオレを制す。
「そもそも、その生き残りはたった今カーターと一緒に出て行ったばかりだろう。手元に生き残りがいないのに、まだサツキを探すのか?」
どうしてこの男が部下を知っているのか。カーターがミリーを連れ出しているなんて、セピアは知らなかった。行くだろうとは思っていたが、すぐに行ってしまうとは。
男が地上を眺めていたのはそのせいらしい。
「生き残りがいようがいまいが、その医者が重要なのは変わらないわ」
「それはメリッサと関わっているからで、あんたには関係無い」
「私の仕事はメリッサの調査よ。関係無くはないでしょ」
「知りたいのは妹が関係しているかどうかだろう。妹はこれ以上関係していない」
「それは、知ってるけど言う気はないっていう意味?」
「どう思うかは個人の自由だと、僕は思うけどね」
男は飄々と、再び地上に眼を向ける。
「なら、」
「ほら、旦那のご登場だ」
男の声に地上を見ると、支部から数人の部下を連れ出てきたセピアの夫が、憤りも露わに部下に何か指示している。遠目から見てもローブは焦げてぼろぼろだった。
カーター。つい声になって出てしまう。あれを使うなんて、なんてことを。セピアは頭を抱えた。
「で、あんたの優秀な部下はあそこ」
男が指さす先に、青いローブの二人組の姿があった。路地を西へ、手を引き走っている。支部からは距離がある。今からでは追っ手は見つけられないだろう。
「彼、戻ってくるかしら。……私には本当に、もったいない部下だったけど」
ミリーはメリッサに帰らなければならないと言っていた。出来ればカーターと行きたいと。