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木村 凌和
木村 凌和
novelistID. 17421
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メリッサに愛を

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 足音が響いている。建物内は真暗く、壁の向こうの足音以外の音はひとつもない。ミルドレッドには壊れた動力を復元した記憶がない――そもそもここで何をすべきなのか思い出す事もできない身で、足音の正体など想像もできなかった。
 動力はもう無い、すなわち建物の扉は全て閉まっている。島の中枢であるこの建物に入って来れる者はいない筈だった。
 クロエかもしれない。こうなってしまってから一人として人を見かけていないのは不思議に思っていた。クロエならどうするべきなのか知っているし、教えてくれる。
 ミルドレッドは真暗い室内に灯りを灯した。非常動力を使った非常灯が一斉に室内を照らす。日光以外の光はいつ振りだろう。眩しさに目の前がまっ白になる。一声で扉を開けると、足音は間近に迫っていた。
 クロエ?聞くミルドレッドの声に答えはない。
「あなた、」
 代わりに聞こえた声は少女のものだった。クロエと同じ黒い髪は、クロエよりも短い。あおい色をした目は驚愕に見開いている。小柄な身体に不釣り合いの、背丈より長い大きな杖を抱え、足元に白い子竜を連れている。
 クロエではない。誰、とミルドレッドには声に出せなかった。名前は。柔らかく尋ねる少女に恐る恐る答える。いつもと同じ様に、フルネームで。
「ミルドレッド・L・ディズリー」
「ミルドレッド……。ならミリーね」
 古くからある素敵な名前だと、少女は微笑む。あなたは。ミルドレッドは声を捻り出す。
「私?私はピア。ミリー、あなた、生まれはこの島?」
 少女の声にはよそよそしさがある。クロエに似ていた。何か隠している声。
 ミルドレッドは頭を振った。一歩、退く。
「なら大丈夫。怖がらないで、危害は加えないから。ここで何をしているの?」
「働いていました。・・・でも、今はわかりません」
「わからない?どういう事?」
 少女の表情が一変する。鋭い、怖い顔。ずっと、長い間ずっと今どうして島がこうなっているのかわからないでいる。この島に――メリッサに連れて来られた事も言代機として働いていた事もクロエの事も覚えているのに、記憶はバラバラで繋がりがはっきりしない。
「覚えていません」
 考えれば考えるほど頭の中が混乱して、ミルドレッドはそれだけを答えた。
「それは?首の……」
 少女がほっそりとした首を傾げる。少女がする様に自らの首を触る。喉元に、ひんやりとした感覚があった。
 これは。覚えている筈なのに言葉が出て来ない。
「……あなたは、ここにいるべきだわ。ここに、最期まで」
 少女は微笑んだ。ごめんなさい、本当に。ミルドレッドには少女の言う言葉の意味が掴めなかった。
「あなたは、似ているから」
 だから隠れていて。少女の笑顔には寂しさの色がある。誰の事を。ミルドレッドは出かかった声を飲み込む。


 朝食を手に階段を上っていると、カーターはセピアとすれ違った。
隊長。声を掛けたもののセピアは気付いた様子も無く、足早に階段を降りていった。顔色が良くなかったふうに見えたが、何かあったのだろうか。そんな事を考えながらミリーの部屋のドアを開けた。
「おはようございます、カーターさん」
 ミリーは背筋を伸ばして座っていた。昨日とはうって変わって、随分晴れやかな、すっきりした顔をしている。
「おはよう。さっき隊長が来なかったか?すれ違ったら様子が変で」
「さっきまでお話ししていました。妹さんの事と、私の事を」
 ミリーが言葉尻を取るのは初めてだった。
「それは、昨日はまだ話せないと言っていた事か?」
「いえ。それとは違うんです」
 ミリーはきっぱり言い切り、食事を促す。
昨日顔を青ざめさせた、頼りなくて気弱な、子どもの様なミリーとは違う。セピアと何を話したのだろう。妹に負けず魔術師団内外に敵が多いセピアはとうとう立ちいかなくなってミリーを上層部に売るつもりなのかもしれない。
 いつもと同じリゾットの器を渡す時に、テーブルに黒いファイルがある事に気付いた。その隣に、前夜祭でミリーを連れ出す際にセピアの机から持ち出した瓶がある。
 ミリーは黙々とリゾットを食べた。緊張した面持ちは慎重に言葉とタイミングを選んでいるように見える。
「お願いがあります」
 ミリーがスプーンを置く。
「あの島へ、メリッサへ、連れて行ってもらえませんか」
「まず、どうして?理由は?隊長に何を言われた?」
 ミリーには決意がある。それはカーターには掴みようもなく、とても恐ろしいものに見えた。
「隊長さんには私が話すべき事を話しました。あの人は、メリッサの事なんて知りたくもないみたいでしたけど」
「話すべき事を?」
「妹さんの事です。あの人は妹の調査が正しかった事を証明したかっただけだと思います」
 口をついて出た声に棘があった事も気にせず、ミリーは答える。
昨日、セピアが妹の話に過剰反応していたのは、妹を嫌悪しているからではなかった。それはわかっていても、そこから先を考えていなかった。
「どうしても、あそこに行かなければいけないんです」
 もう、このままではいられません。そう言うミリーはあの黒革のファイルを撫でる。
「行こう。メリッサまで距離はあるが今からなら暗くならないうちに着ける」
 ミリーは言って聞くような状態ではない。それだけの理由があるのなら、協力したい。
 前夜祭の時と同じ様に上からローブを着せ、部屋を出た。支部には今それほど人がいない。式典という大きな仕事が終わり、召集されて来ていた者達がそれぞれ元の支部に帰ったためだった。前夜祭程苦労せずに建物を出られる。
 階段に着いた時、四階から降りてくる男がいた。見慣れた男。上層部でも一目置かれている、セピアの夫だった。彼はちらり、カーターの後ろのミリーを見やる。
「彼女が例の生き残り?」
「いえ。こいつは新入りの団員です」
 セピアが売ったのではない、上層部自らが奪いにくるとは思ってもみなかった。それも、この男に。
「カーター。姪に金がかかるんだろう、今回もいつも通りにと頼んだ筈だ」
 いつも通りに。セピアの動向を逐一報告するように、彼女が隠していることは報告するように、今回の調査でも頼まれてはいた。それらしい事を並べてミリーについては何一つ言っていない。言うつもりがなかったから。
 カーターは後ろ手に持っていた瓶を床に叩きつけた。走れ、ミリーに向けて怒鳴る。それでも動く気配がないミリーの腕を掴み、階段を駆け降りる。割れた瓶の破片と中に入っていた液体が飛び散っている。液体の滴一つ一つが複雑な図形に変形して魔術を発動する陣になり、それぞればらばらの魔術を発動させる。大きな滴は分裂して小さな滴になり、小さな滴は生物に変形するか変性する。一つの滴が火を生み出し、変性した滴へ着火する。カーターがミリーの手を引いて二階へ降りた時、着火した滴は燃え上がり、空気を燃やし尽くした。
建物内に轟音が響く。怯んで速度の落ちるミリーを引きずって建物の外まで走った。
「あの、あの人が、言って、いたのは」
 苦しげなミリーの息を整えるために立ち止る。支部からはほんの少ししか離れていない。
「家族は死んだ兄の娘が一人だけ。色々金がかかるから何でもしてきた、それだけだ」
作品名:メリッサに愛を 作家名:木村 凌和