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粒マスタードワルツ

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「そうなの? へぇ。聞いてみたいな。どんな曲なんだろうね」
「さぁ。今、君の踊ってるみたいな後ろ姿見てたら、急に思い出したんだ」
「ワルツって3拍子のダンスよね」
「そう。こんど一緒に踊ってみる?」
 すると、隣の部屋で一心不乱に紙を切ってお絵描きをしていた桃が終わったらしくドタバタ駆けてきて俺の手を引っ張った。桃は集中して何かしている時は、彼女だろうと俺だろうと何人も傍にいるのを許さないのだ。
「できた!できたー!見て、見て!ダーリンには特別に見せてあげるよ!」
 桃の父親は、桃が生まれてからすぐに他の女と高飛びして、その女に騙されて挙げ句殺されたらしい。なので桃は父親の顔すら知らなかった。そのせいか俺によく懐いてくれたのだ。俺は父親と言うよりは、軽い友達みたいなノリで一緒に遊んでいた。
「ダーリンの工場ごっこしようよ!」
 そう言って、紙を細かく切って、そこにクレヨンでミミズがのたくったような字で記号のようなものを書き付けていく。彼女の太めのベルトやタオルを出して来て、長い蛇のように繋げて、ベルトコンベアーの真似をする。冬用の手袋を嵌めて、小さい布マスクをして、俺には何処からか軍手と紙マスクを出してきて渡した。俺が前に一度だけ話した事をよく覚えている。積み木にその紙をちょこんと乗せて、ベルトコンベアーの上を手動で動かしてくる。俺がチェックをすると、おもちゃの買い物かごに落としていく。その作業を飽きもせずに続ける。俺がつまらなくなって欠伸をすると怒られる。仕方ないので、休憩のベルの音を真似して言う。すると、桃はマスクと手袋を毟り取り、一目散に駆けて行って食卓に座って夕ご飯を待つ。面白い子だった。
「宿題やった?」
 彼女が出来上がったおかずを並べながら、箸を並べている桃に聞いた。
「もっちろん!ダーリンに教えてもらったの!いただきまーす!」
「いつも、ありがとう」
 簡単におもちゃを片付けて、食卓についた俺に彼女がまた申し訳無さそうに言った。
「いいよ。俺もクイズみたいで面白いし」
 帰りは必ず、アパートの窓から桃が恥ずかしいくらいに大きな声で送ってくれる。その声を後ろ手に木枯らしの中を俺は自分のオンボロアパートに寂しく帰っていく。


 秋の紅葉が深まったある晴れた日。俺と彼女と桃は3人で遊園地に行った。工場の奥さんから、遊園地の割引券をもらったのだ。初めての遊園地に赤いオーバーオールを着た可愛らしい桃は大はしゃぎで、電車に乗っている間も大変だった。
「桃は、遊園地初めてだったんだね。そりゃ楽しみだろうな」
 俺が桃を抱っこしながら隣に座っている彼女に言うと、彼女も些か緊張していた。
「実は・・・私も初めてで」
「そうなの?」
 俺が驚いて聞き直すと、彼女は珍しく顔を真っ赤にしてコクンと頷いた。
「うん。テレビとかでは見た事あったんだけど、なんて言うか、その・・機会がなきゃいかないじゃない? 特に、ずっと私一人だったから行くのも大変そうで何となく」
「なら、良かったじゃない。ね」
「ねー!」
 膝に乗っかった桃も面白そうに俺の真似をして言った。電車の窓から規則的に差し込んでは消える温かい日差しに照らされた彼女は恥ずかしそうに俯いて紺色のキャスケットを深く被った。そんな彼女を見るのは初めてだったので、何となく新鮮だった。
 その遊園地は大きな所ではなかったが、充分遊園地初心者には楽しめる乗り物がたくさんあった。それに所々に効果的に紅葉だの楓なんかが植えられていて、紅葉狩りも一緒にしたような気分だった。彼女と桃は一緒になって同じように笑ったり怖がったり叫んだりしていた。親子だなぁ。お昼になったので、紅葉の大木の下で、観覧車を見上げながら彼女特製の美味しいLascia Ch’io pingaが効いたホットドッグを齧った。
「遊園地と言えばホットドッグかな、と思って」
「美味しいよ!」
 俺と桃は黙々とただホットドッグを食べた。青空の下、芳ばしいバターの香りのするパンも、苦みのないレタスも大きなソーセージも本当に美味しかったのだ。
「ダーリンの上着、今日の空みたいな色だね!」
 桃が、口の周りにたくさんマスタードだの肉汁だのを塗りたくって、危なっかしくホットドッグを片手に持って、俺の着ていた防寒ジャケットを指して言った。
「桃の服だって、紅葉みたいな色だろ」
「あ、本当だあー!紅葉だあー!」
 不安定な危なかっしいホットドッグを揺らしながら、きゃらっこきゃらっこ笑う桃。
「落ちるぞ」
 ふと、横を見ると彼女が嬉しそうにゆっくり咀嚼して食べていた。それが俺の目を釘付けにした。かつての母親の食べ方とは似ても似つかなかったが、確かに彼女の食べ方は美しかった。風が吹いて紅葉の葉を枝から放しハラハラと舞わせた。その真紅の小さな手が彼女の結い上げた後れ毛にも、ミルクティーみたいな柔らかいそうな色のセーターの肩にも撫でるように降ってくる。何だこれ? あまりに絵になり過ぎてる。
 見とれている俺に桃がいち早く気付き、大きな声で突っ込んだ。
「ダーリン!ソーセージパン落ちる!ママに見とれてばかりいないのー」
 その声に、彼女が不思議な顔をして振り向き、俺は急に気恥ずかしくなって、慌てて珈琲を買いに行ってくると言って、ホットドッグを齧りながら売店に逃げた。
 遊び疲れた帰り道、桃は眠ってしまったので、俺が背負って帰った。まだ、15字過ぎで明るかったが、早朝から早起きしたらしい桃はすっかり一日のエネルギーを使い切ったらしかった。電車に揺られて帰る道すがら、彼女は何も言わなかった。
 彼女の家に着いて、桃を寝かすと、さすがの俺も疲れ果てて珈琲を飲んで自転車で帰った。いつもの癖で窓を見上げると、もちろん桃はいなかったが、珍しく彼女が手を振って見送ってくれた。いつもは決して見送らないのに。俺はイチョウの鮮やかな葉がたくさん散らばった道を風に押されて帰って行った。

「話があるの」
 2日後の夕方行くと、玄関で出迎えてくれた彼女が変に真面目な顔つきで言ってきた。些か不安が過るような雰囲気。俺、何かやったか? 彼女の気分を害する事やったのか? 考えてもわからない。少なくとも昨日までは特に何も変わりはなかった筈。
「いいけど。先に、飯作っちゃうから」と、とりあえず俺が言うと、
「もう私が先に作ったから」と、彼女。
 せっかく今夜は桃の大好きな手羽元でトマトカレーを作ろうと思ったのに。桃はドラえもんに夢中で、俺が来たのも気付いてない。彼女は珈琲を入れて俺と向かい合った。
「この間、遊園地に行った日から色々考えてたの」
 なんだか、こんな切り出し方はとても何処かで聞いた事がある。何処でだったかと思い出そうとして、複数件ヒットした。そうだ。俺が過去に振られた彼女達からの、別れ話の切り出し方だ。毎回こんな感じで彼女達の考察から始まる。俺は、うんもはいも相槌も何も言えなくなって緊張して固まってしまった。
作品名:粒マスタードワルツ 作家名:ぬゑ