むべやまかぜを
「適当に流せって言っているわけではないの。書き直して、苦吟して、それはとても大事なこと。でも、そうしている自分に酔っているところはないかしら? 誰かに揚げ足を取られないかと怯えている自分はいないかしら? 今の自分以上の自分がどこからにある。でもそれは、単に今の自分を嫌っているだけではないかしら?」
丸山花世は龍川の様子を見ている。アネキ分は龍川のことを知らない。ただ一般論として話をしているだけ。
「今、そこにある自分がそのままの自分。それ以上の自分はないんじゃないかしら?」
「でも、大井さん、それは弱きに流れているだけではないですか? そういうのは……そういう考え方は堕落に繋がる」
「堕落は悪いこと?」
大井一矢は穏やかに、だが間髪をいれずに言った。まさかそういう答えが戻ってくるとは思っていなかったのだろう。若者は口ごもっている。
「自分を幸せにしない作品は人を幸せにしないの。ダメなところがあって、おかしなところがあって、それでいいの。完璧なものを目指す必要はないの。人間は神様にはなれない。どうやっても。人間は人間。だから、私たちには許すという力があるの。私は、私の許す力を信じている。読者が私達を許してくれるということも信じている」
「でも……でも、そんなことをしていたら……それは甘えですよ、大井さん。そんなことをしていたら読者は離れていってしまう。作品は売れなくなりますし、そうすれば……」
龍川は惑乱している。一方の女主人はぶれない。
「読者の人が離れていったら、何か困ることがあるの?」
「え……」
そこで龍川の思考は止まった。
「読んでくれる人がいなくなって、だから、それがどうしたの? 何か龍川君は困ることでもあるの?」
「だ、だって……それは……」
若者は恐れているようである。一方の女主人は穏やかな顔をしたままであるのだ。
「あなたは、本当に書くことが好きなの? 物語と触れ合うことが幸せではないの? 大事なのはそのことであって、他人があなたをどう見るか、あなたの作品をどれだけ買ってくれるか、ではないんじゃないかしら?」
丸山花世はアネキ分の毒にはなれきっている。原理主義は姉も妹も同じ。